笑いたおしていきてゆく

笑い倒して生きてゆく  kHJ全国ひきこもり家族会連合会理事NPO法人てくてく                                                                                                            代表 山本洋見

 自分の子供がひきこもると、母親はどのような状態になるか。

混乱、恐れ、悲しみ、怒り、そして涙。

父親はどのようになるか。

舌打ち、恐れ、恥じ、重圧、怒り、悲しみ、そしてあきらめ。

仕事上、何か問題が起きると、それを改善しなければならない。改善して次に進まなければ仕事にならない。ところがひきこもりの子供には改善案は効かない。かえってこじれ、父親は非難されてしまう。お父さん自身もアスペルガー、パーソナリテイ障害、などと言われてすっかり嫌気がさしてしまう。家の中は空気が淀んでくる。

ここまでで、誰かひきこもっている人の気持ちを聴いてくれる人がいましたか?皆あわてふためくばかりで、主役が誰か忘れている。親も自分が受けた衝撃に足元をすくわれ、あたかも自分の人生が台無しになったかのよう。お母さんは泣き、お父さんは苦虫をかみしめたような顔になる。

そして次なる行動は、学校に相談する、カウンセラーに相談する、精神科を訪ねる、市地域のひきこもり関連の窓口に行く。ひきこもり関連の本を読む。宗教家を訪ねる。占い師のところへ行く。中にはパワーストーンや壺を80万円で買う人もいる。(これは私ではありません)

誰も自分の苦しさをわかってくれない。自分の気持ちに耳を傾けようとしてくれない。このころ当事者は「○○してくれない」「みんな親のせいだ」(社会が悪い)「学校が悪い」「いや、自分がだめだからだ」と人のせいにする~自分を責めるところまで行く。中には親に暴力をふるう人も出て来る。その暴力の行く先は親を通過してひきこもっている自分自身にだ。

そして10年が経つ。子も親も疲れてくる。気力がなくなる。親は家族会に入って学習会に参加する。子は動かない。そしてまた10年があっという間に経ってしまう。

私の家でも20年という時間が、むなしく過ぎて行った。初期のころ本人が出している信号を見逃した親は、その後どのように働きかけても子は動かなかった。時間は止まり、親も子も「ひきこもり」というカテゴリーの中で自縛し、ある意味安全な「ひきこもり」という枠組みの中に定住している。そこがとりあえず自分の安全を保障する場所、安心してご飯を食べられる場所。決して嬉しくはないが、今更社会に出て恥をかくよりまし、な処。

そこに愛情深い親が居て、ひきこもりの子を物心ともに支えている。

親の愛情は、果たして子の為になっているのだろうか?もしかしたらそれは

「愛」という名の支配欲か?他の生物たちの中ではありえない、成年になった子にいつまでも餌を与える。子は親付き世捨て人のように暮らす。。それを助長しているのが親だ、と云うと、お母さんたちは泣いてしまうだろう。お父さんに言わせれば「そうだ、母親が甘やかすからだ!」と鼻息荒く言うだろうか。お母さんの涙が怖くてお父さんは黙りがちだ。

昨今、マスメディアが取材し発表するので「ひきこもり」はオープンになってきた。家族会も活発に活動し、国も予算化するようになった。80―50問題も取り上げられ各方面で支援の手が伸びてきている。回復した当事者も社会と繋がるようになってきた。未来は明るい。本当に?

ひきこもりの人数が政府から発表されると、その程度なんだ、と安心する人もいる。40歳からの人数はカウントされていないし、カウントしにくい。社会から姿を消して年月がたっている。ひっそり暮らしている。そうこうしているうちに親が死ぬ。

 解放される。愛されることからの解放。世話されることからの解放。家族の視線からの解放。母の嘆きからの解放!その後を生きて行くことの厳しさの前の至福のひと時・・・。

 親の愛情が子を縛る。勿論支配しようと思っていたわけではない。心配し、応援した。なにより我が子は可愛い。しかし、生物としての成長を阻害し、自立を遅らせる庇護。命を懸けても子を守ろう、なんてどこかで思っていた母親、私。笑っちゃいますね。笑うしかない!

子も親も、此処からどのようにして立ち上がればいいのか、生きて行けばいいのか。欲しいのはアドバイスではない。受容、共感、伴走、そういうものでもない。欲しいのは地の底から湧きあがるような生きる力。

 

安全な家庭のドアを開けてそこから出て行こう。亡き俳優、渥美清さん演じた「ふうてんの寅さん」みたいにトランク1個で妹さくらの心配顔に背を向けて、「男はつらいよ」と言いつつ世間に飛び出て行く。バカにする人、相手にもしてくれない人の中で、優しい人にも出会う。七転八倒しながら世間と渡り合う一生懸命な姿は思わず笑いを誘う。共感の笑い、自分を笑い倒すような笑い。

自分のかっこ悪さを笑い倒せるようになったとき、生きて行くのもいいと思えるようになるのか。笑い倒して生きて行こう。涙を流しながら、笑って、笑って、でこぼこの自分を笑い倒して生きて行こう。

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