お蔵入りになったインタビュー記事とその後

「お蔵入りになったインタビュー記事とその後」

 

 

記者として取材させていただき心に深く残った出来事がありました。

山田さんにお誘いいただき某市で開催された8050問題の当事者の集いに

参加しました。そこで出会ったのが、70代の母親Aさんと40代のひきこもりの息子さんです。集いの語りの中で「死ぬような思いでここへ来た」と話す息子さんの言葉が気になり、終わったあと話を聞きに行きました。その時の息子さんは本当に言葉少なな様子。

一方お母様は朗らかで話しやすい雰囲気の方でした。じっくり話を伺うため後日改めてインタビューをお願いします、と厚かましいお願いをしてから1月ほどたち、お母様の取材が実現しました。

しかし聞けば息子さんには一切言わずに来た、くれぐれも伝えないようにとおっしゃいます。人物特定が出来ないよう細心の注意を払って記事化することを約束しました。

そののち1週間程、いよいよ記事にするぞ、という日の朝のことでした。お母様から携帯に電話が入りました。「やっぱり私が話したことは記事にしないでください。もし息子にわかったらどうなるかわからない」。切羽詰また様子にびっくりした私は、インタビューの掲載を取りやめる事を決めました。8050の当事者である親と子がギリギリの状態の中、なんとか踏ん張って生きていることがやっと実感として迫ってきました。残念ではありますがインタビュー記事はお蔵入りとなりました。

ところがそれで終わりではありませんでした。1年近くたったつい最近、とても嬉しいことが起きたのです。

ある夜、また携帯電話が鳴りました。知らない番号です。誰だろう?と思って出てみると

Aさんの息子さんからでした。1年前と打ってかわって声が元気です。そして、家を出て自立しようとしていると話してくださいました、そして取材に応じてもいいと。なんと嬉しいことでしょうか。その数日後には仕事が決まったという連絡もいただきました。

1年のうちに一体どんな変化があったのでしょうか。

「死ぬ思い」で出てきた集いが1つの大きなきっかけであったことは間違いありません。

近くAさん親子に取材に行きます。今度こそ記事が掲載できます。親子の体験談はきっと誰かの背中を押すきっかけにつながるはず、そんな一助になれたらこんなに嬉しいことはありません。

 

(ジャーナリストM・Y)

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今からできることを、今かんがえる  石川 智

元・引きこもりFPからの提言 ~今からできることを、今考える~

福祉ファイナンシャル・プランナー(FP) 石川智

20代の私を反面教師に

今でこそ講演で多くの人の前に立つこともあるし、地元のテレビ番組に出てしまっていたりするが、私、実は20歳~22歳にかけて「プチ引きこもり」をしていた。当時の私は、大学受験に失敗し、地元を離れて、世田谷にある下宿で浪人生活をしていたが、段々と予備校に行かなくなり、1浪で臨んだ受験は全敗してしまった。

親には希望を持たせてしまっているのに、それを全く実現しようともしない自分を卑下しながら、徐々に私は下宿先の自分の部屋から出なくなっていった。夜間の銭湯や、深夜のコンビニには行けるが、予備校は当然のこと、「昼間に人に会う」なんてとてもできなくなり、段々と友人が減り、さらにまた部屋に閉じこもる、という生活になってしまったのである。

幸いだったのは「親と離れて暮らしていた」ことだったが、親の脛をかじり続ける自分に嫌気はさしてはいたものの、そこから一気に脱出する気力もなく、2年が過ぎてしまった。そんな私も3浪目にはさすがに「まずい」という気持ちになり、何とか2校を受験して、何とか合格した。その後、何とか大学を卒業して、地元高知で就職。その後様々な経験を経て、現職になったというわけである。だから引きこもり当事者の気持ちは、なんとなくは理解できるし、サロンなどで、部屋から出てきた当事者の話を聞くと、共感することもある。

私は「なぜ引きこもったのですか?」という質問には今でも回答できないが、「なぜ途中で出てきたのですか?」という質問には答えられる。それは「私の2年間を深刻に捉えないでいてくれる友人がいた」ということに尽きる。この2年で沢山の人が私から離れたが、その友人は、しつこいぐらい、決して私から離れてくれなかった。むしろその2年間を「心にちょっとした怪我をした」程度に捉えてくれた友人のおかげで、私はなんとなく「出る」ことができた、と今では思うのである。

リ・スタートを切るにあたり

この友人の立ち位置を冷静に分析すると、本人にとって重要なのは「何時でも部屋から出られる環境が、その時に確実にある」ということだ。この「部屋から出られる環境」とは、「出た時に普通に受け止めてくれる安心感」、そして「何時でも再スタートしていいのだという寛容さ」ではないかと、経験上思う。こうした周りの「ほんの少しの配慮」があれば、引きこもり当事者は、いつかそこから脱する可能性があると言える。

そうして部屋からでた本人に待っている課題は、「生活していくお金」と「生活していくスキル(ソーシャルスキル)」であることは言うまでもない。

ここで重要なのは、「現に暮らしていける」ということと「周りから疎外されない・繋がりを持てる環境にする」ということである。前者に代表されるものが「料理がある程度できる」ことであり、後者の代表が「最低限の掃除ができる」ということである。

料理ができる人は、買い物もできる人と言える。この二つができると、生活にかかるコストが計算しやすくなる。つまり、概算で1カ月にいくらで暮らせるかがわかる。ここからさらにどれくらいの就労が必要なのか、収入が足らない分を親などがどれくらい準備しておくことになるか、などの具体的な「お金」の課題が見えてくる。逆に言うと、料理や買い物ができないと、この「お金」に関する部分は、不鮮明なままになり、本人も、親も、支援者も具体的な就労支援や相続対策に取り掛かれないのだから。

そうして仮に生活を始めたとしても、掃除がある程度できないと、必然的に住環境が悪化し、ごみ屋敷化する危険性が高まる。本人はそれでも「暮らせる」かもしれないが、問題なのは、そうした住環境になると、支援の手が入りにくいという点にある。ごみ屋敷には人はなかなか近づかないのは、誰もが経験上わかっていることであるからだ。その意味からも、掃除やゴミ捨てができるようになっておくことが、重要なスキルと言える。

 

最後に専門家として伝えたいこと

80-50の現実的な課題に「親に何かあった時に、本人のお金は大丈夫なのか?」ということがある。これを「親なき後の心配」と言うが、先述した「生活費をどう計算して、不足分をどう補うか」を本人、家族、支援者で共有しておくことが重要になる。本人ができることと、家族ができることと、支援者ができることは同じことではなく、それぞれが「自分に今できること」を取り組むことで、この「親なき後の心配」は軽減されていくのである。

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親の死体と生きる若者たち     奥村義行

三十七才の春、父親が死んだ。

珍しく家族四人が緩和ケアの病室に集まっていた日曜日だった。

僕はひきこもりの支援施設に通いはじめて一年がたった頃で相変わらず無職だった。

父親が心筋梗塞やガンで治療している時も僕はひきこもりで、もちろん医療費も葬儀代も払えない。

しかし、長男なので喪主を務め、当時の僕は晒し者に近い感覚でした。

母親、姉、親戚が居たから事は進んでいったが、もちろん僕一人では何も出来なかったかもしれません。

 

しかし、当時の僕は親より先に死ななくて最低限の親不孝しなくて済んだと思っていた。

それからは母親より長生きすることが一種の目標となっていました。

 

あれから十年が過ぎました。

最近は本当に親より先に死ぬことが親不孝なのか分からなくなってきました。

障害者枠のアルバイトをしている僕は生活保護前後の収入で一人で生きていく事が決定的になっている。

そんな息子を残し逝く母親は、どういう気持ちなのか?と思うと先に死ぬことも悪ではないのでは?とも考えるようになりました。

母親だけでなく、親戚等の不安も考えると僕が先に逝く事の方が良策のようにも感じます。

 

外に出ている僕が、そのように感じているが、もし僕が、まだひきこもっていたら、一体、何を希望に外に向かうのだろうか?

 

 

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人とのつながりの重要性を強く感じました。

京都に来て一人暮らしを始めて半年が経ちました。

それまでは実家の仕事を手伝っていましたが、些細なことで引きこもり一年ほど経ってついに心配になった両親が救急車を呼びそのまま2ケ月ほど入院しました。その後退院したあとで山田さんの助力を得て今に至ります。

ひきこもっている期間はとても苦しかったです。両親にも、だれにも顔を合わせず、自分の存在が周りの人を苦しめているのは分かっていても自分ではどうすることもできず、なるべく存在が意識されないよう呼吸すらしづらい毎日でした。いっそわたしなんていない方がいいと思い何度も命を断とうとしましたが、その度に失敗したり踏み切れなかったりして、死ぬことすらできないのかと更に自己嫌悪に陥りました。そこから無理やり連れ出され精神病院へ入院しました。私の場合は一年と少しでしたが人によっては10年20年さらにはそれ以上ひきこもっている人も多いそうです。

「親の死体と生きる」それは単なる冗談ではなく実際に起こりうることなのです。もしもあのまま親も私も踏ん切りがつかず、おやが亡くなるまで現状を変えることができなかったらどうなっていたでしょうか?隣の部屋で冷たくなっている親に気付いた時果たして何十年間もひきこもり誰とも交流のない私はその後の対応をそつなくこなせるでしょか。おそらく無理だと思います。状況によっては犯罪者になっていた可能性もあります。そう考えると私は幸運でした。

今までの経験を通じ、人とのつながりの重要性を強く感じました。現状を打破するために救急車を呼んでくれた両親、その両親をサポートし相談に乗ってくれたオレンジの会のみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。

 

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イシス出版新刊 「8050問題を生きる」弊社にて直接販売してます。

11月5日発売開始。メールまたはお電話(090-3825-3156)までお申し込みください 定価1000円(税別) 

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いつも自分のあり方が問われている

いつも自分のあり方が問われている

ジャーナリストとして8050問題を取材する。

今回の投稿イニシャルを希望   A.Kさん

3年ほど前から、記者としてひきこもりの人のことを取材している。きっかけは、ひきこもりの人がいる家族で起きた事件だった。親御さんが、子どもの将来を悲観して、ひきこもっていた子どもに手をかけたり、心中をはかったりしていた。家庭内暴力があったケースもあった。他者とのつながりを欠く時期が長くなり、本人も家族も孤立し、疲弊しきっていた。そんな話をご本人や家族から聞いていると、ただただ無力感を覚えた。

誰かがひきこもるきっかけや経緯はもちろん様々だ。それぞれの人生のストーリーがある。学校でのいじめ、リストラ、障害や疾患を抱えた方のこともあるけれど、外から見たら決してわかりやすくはないようなことが重なって、ということもある。長くひきこもった結果、精神疾患をともなうようになった人もいた。いずれにしても、今の社会や地域や家族に息苦しさを感じて、自分の安全を守るためにひきこもっている、ように私には見えた。それは今の社会がどんなに生きづらく、窮屈なものであるかを警告、体現しているかのようだった。

もちろん、元気にひきこもりライフを楽しんでいる方がいるなら、それはそれでいいのだけど、多くの人はそうではないから心配なのだ。問題なのは、働けない人が増えるからとか、いつまでも親元にいるからとかではなく、生きるエネルギーを失ったり、消えたいとまで思いつめてしまったり、そういう人がたくさんいることなのだと思う。

 

取材自体、いろいろと苦しい気持ちになることが多い。ご本人でも、家族でも、話しにくかったはずのことを聞かせてもらうと、「本当にごめんなさい」という気持ちになる。時には「ひきこもったこともないくせにと思われているかもしれない」なんて思いながら、おそるおそる取材をしている。

長年、同居する家族とさえ口を聞いていないという方のことに思いをはせるとき、ただただその苦しさが自分の中に流れ込んでくる。人は群れの中で生きつつ、そういった群れの中にいる意味とは離れて個として生きていると思う。けれど、ひきこもるというのは、群れに圧迫されまいと強く強く壁をつくっているのに、個としての自分の境界が曖昧になっていくような、そんな気がする。

 

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8050問題に思いを寄せて   目良宣子

「8050問題」に思いを寄せて(雑感)

 

私が保健師活動の一環としてひきこもり支援活動に携わるようになったのは17年前です。その当時17歳の青年は34歳、39歳だった方は56歳になっておられます。

ここで何を伝えたいかと言うと、支援を受けようが受けまいが、この問題に関わろうが関わるまいが、私たちは確実に年齢を重ねていっているということです。そしてこの問題の自然解決を望むことはかなり厳しいことであり、家族は長い年月血のにじむような苦悩と戦い、本人もまたそのことで暗闇から抜け出せずに存在しているのです。

ひきこもり支援活動に出会うことがなかったら、私は今も市役所の保健師をしていたことでしょう。間もなく還暦を迎え、静かな老後のための準備をしていたかもしれません。

私を突き動かしてくれたのは、ひきこもり支援活動7年間に出会ったご家族の人生模様や青年の言葉少ない語りだったと思います。市役所を退職して早10年が過ぎましたが、その頃願わくはこの問題が終結し、ご家族もご本人も自分らしさを失わずに豊かな地域生活を送ってほしいということでした。

ひきこもりガイドラインが示された頃は、多様なひきこもり状態を的確にアセスメントして、適切な社会資源につないでいくことが望まれました。今も基本はそうであると考えていますが、ひきこもりの長期化に伴い、世の中は医療モデルから福祉モデルへと変化してきているように感じています。果たしてこれでいいのでしょうか。

この10年、少しずつ支援のすそ野は広がってきたとは思いますが、障害児者や高齢者の支援のようにはいきません。子育てや介護の社会化ということから、法整備や政策プランが展開されてきたとはいえ、社会保障費の伸びに対して税収が追い付かず、将来に不安を抱えている人々が増え、格差が広がってきているのが現実でしょう。

そのような中で、ひきこもり支援にも同等の制度や施策を望むことを、現在の社会は許容してくれるのでしょうか。支援の先延ばしは、ますます生活困窮者を増やしてしまうことになり、先の見えない社会をつくってしまうことになるのではないでしょうか。このことはかなり前から予測できたはずです。

正確な実態調査がいまだできていませんが、これまでの調査結果から概算で社会の損失額を計算してみても、予防の視点から早期に支援を開始すべきことはもはや明白だと考えます。いつまでも先延ばしにしないで、早急に制度化して対応策を考える必要があると思います。

支援の先駆者たちは、皆さん予測していたでしょう。山田孝明氏のように、辛抱強く支援し続けてくださる方は貴重な存在だと思います。全国各地に家族会を立ち上げるそのエネルギーに敬意を表しますが、個人の力に依存するだけでは、先細りになる可能性があります。

やはり自助・互助・共助・公助すべてをそろえた仕組みづくりが必要となるでしょう。行政も本気で対策を考えていくときがきたと思います。誰ひとりこぼさない、一人一人を大切にする町づくりこそ、活気ある町になるのだと期待します。この本を手にされた方が、勇気をもって声をあげてくださることを願わずにはいられません。

 

山陽学園大学(元田辺市保健師、平成13年1月~20年3月まで田辺市ひきこもり相談窓口担当)目良宣子

 

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新刊のお知らせ 「明日を語る言葉をを見つけたい」

10月刊行予定

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突然襲ってくる説明できない在る違和感 —– 奥村義行

1.序章

フォルティ(自助会)を始めて1年半、エスポワール名古屋(40代50代のひきこもりの本人と御家族が集える市民の会)を始めて1年になろうとしている。

そこに居るときの僕とは少し違う顔が障害者雇用率制度を利用した障害者枠でのアルバイトをしている会社にはある。

ひきこもりの時と同じように社会と繋がれない怯えた中年が恐らく周りを苛つかせている。

僕も信じていなかった「人はいつでも変われる」「遅すぎることはない」等とは言えない。

僕は名古屋市に生まれ市立の小中学校に”普通”に通い、その後、県立の高校、専門学校と色んな地域の人と交わるようにつれ心を閉じていったと思っていました。

 

2.心の冬眠

先日、自転車がパンクした。近くに有った町の自転車屋さんが閉店した為、通っていた小学校と自宅との中間程にできたチェーン店のサイクルショップに懐かしい通学路を通って向かった。

子供の頃あった火の見櫓はなくなり、ここにそれが有ったという説明書きのみになり、そこを越えると小学校の高学年になると不登校となり、その後は会っていない同級生の家が有り、防犯上なのか最近の表札には誰が住んでいるかが書かれていなく名字だけは、そのままであった。家自体は当たり前だが子供の頃より、くたびれているが裏の草木も手入れされているようなのだが人の気配はないように感じた…どうしているのか?と答えは出ない事を考えながら過ぎると、従兄弟が住んでいた長屋は立派なマンションに変わっていて、用水路も、そこに有るのか分からないように舗装されていた。

その先には不登校だった同級生が、もう一人住んでいた。かつてはアパートだったその場所には新築の住宅が並び、彼の名字は見付けられなかった。

当時の僕は彼等に何が起こっていたのか?に興味が持てなくて、記憶も曖昧である。

しかし、僕がひきこもり始めて彼等に何が起こっていたのか?を遅すぎるが考える事になった。

僕は小中学校時代は似た価値観の地元の人達と楽しく過ごしていたと思っていた。しかし不登校になった彼等のような少数派かもしれない人達の涙に現実は支えられていただけだったのでは無いかと思うようになった。

それは自分が社会と関われずいるように、彼らも地元や学校に関われずにいたのか、または排除されていたであろうと想像したからだ。

 

寂しがり屋の僕がよく14年間も、ひきこもれたなと思う。

熊などの動物は餌のない冬に体温を下げ活動をせず春まで休む。

僕も心のエネルギーがなく感情の起伏等を無くし活動をせず、心のエネルギーを補充する方法が見つかるまで、または貯まるまで休もうとしていたのかもしれない。

だから寂しいという感情も、楽しいという感情も、飽きるという感情も気付かないようにして、心を動かさないようにしていたのかも?

だから逆にその感情を動かそうという外からの刺激には反抗的になってしまったのかもしれない。

自分を肯定的にとらえたい気持ちから、そんな風に思ったのかもしれないが、この心の冬眠は実は今も続いている。

社会に出て人と上手く関われないと感じたら、その自分の悲しさ、恐怖という感情に気付かないように心を動かさないように静かに静かに過ごす。

周りと自分との間に消波ブロックを並べ心を揺らされないように静かに眠るように・・・

残念ながら僕は休んでも休んでもエネルギーは溜まりきらずにいた。足りない分は同じような体験をした人達と話す事で、そして聞くだけでも僕は心のエネルギーは溜まるような気が今はしている。

 

3.就活

学歴、職歴、資格のない僕が、40過ぎて就活をして見付かった仕事は障害者枠のアルバイトでした。ほぼ最低時給で40代そして50代へ向かう。

40代、50代で収入を得ようと福祉サービスや障害年金などの制度を利用しようとデータを見ると障害年金、国民年金とすると月に2級で約66000円程、1級で約81000円程です。

福祉サービスの就労継続支援A型とB型の平均収入は平成28年のデータだと月にA型で約74000円、B型で約15000円です。

障害者枠での雇用の月収平均で約110000円です。

生活保護で40~59才だとざっくりとした計算で80000+アパート賃貸料だそうです。

以上のように、一人で暮らすのならギリギリ生きてはいける制度もあるだろう。

しかし自分や親が病気になれば医療費へ、そして介護、場合によっては仕事に行けなくなったりもするだろう。

僕にとっては、これが現実的な判断だったし経済的な自立を続けていく事も難しいと思う。どうやって未来に夢を持てるのだろう?しかし、求められるのは継続的な経済的な自立である。一体、どうしたら良いというのだろう?

本音である。苦しみの原点なのかも…

僕は何故、ひきこもり。何故、出来もしない経済的な自立を求める?

それは考えるもなく常識だからなのだろう。

資本主義だから当たり前、金があれば今のままで良いの?もし、そうならば結局、僕は何を見ていて、何を求めているのだろう?

 

4.コンプレックス

イライラの原因は多分、僕が間違っているのが分かっていて正論で逃げ場がないから、必要ないと言われていると感じているからだと思う。

もう25年前ひきこもった時から・・もしかしたら47年前の生まれた時から僕は間違っていたのだと考えた方が楽なのかもしれない。

僕は専門的な知識も経験もない、だからもちろん力量もない。

それでも動く事が必要だと思って、僕のような何も出来ない人でも動くことで、あんな奴でも良いんだと思ってくれる人がいたら良いと思っている。

底辺にいるのだから上から言われるのは当たり前。

どうせ社会からは無いものと考えられているんだから自由になれるはず。

 

人並みの収入を得られるようになり余裕が有れば細かな言葉に引っ掛からなくなるのだろうか?力量を付けて自信を持てば嫉妬もしなくなるのだろうか?心が強くなれば逃げ場が無くても笑い飛ばせるのだろうか?

力量を付けると言っても、学校に通うお金もないので本も読んだが身に付いていない。また言い訳だが10年近くやっている趣味のギターでさえ一曲もそらで弾けないという覚えの悪さはどうしようもなく絶望とも言える。

今でも多くの人が社交的に人付き合いができるのに、なぜ僕には出来ないんだろうと思う。できれば仲良くしたいが、一方で自分の事なんて覚えてないだろうと挨拶も躊躇する。人の顔色をうかがい、楽しくないんだろうと引いてしまう。それ以前に自分と関わって良い事なんてないと卑屈になる。そして疲れる・・・

強迫的な症状が強い時は人と一緒に居る時は常にと言っていいほど我慢の時間でした。その限界を超え、それを訴えるように怒りになった。それまでの僕なら、もうそれで離れる方が正しいと思い、もし離れなくなくても、劣等感だけを増やしていったでしょう。でも山田さんは黙って聞いて変わらず接してくれた。

その後も僕は同じような失敗を繰り返して人間関係を閉じる方向に再び進んだ事も有ったが、その経験は大きく、繋がりを持ち続けたいと思ったなら色々あるが最終的には自分の気持ちが大事で一方的にでも関係を繋がっていると思う事が出来るんだと思えるようになった。

 

5.愚者と許容

学ぶという言葉は、真似ると語源が同じだと聞いたことがあります。だから講演会等で活躍中の成功者や成功例の話がされ、その成功を真似るのは、学ぶという事です。

またドイツのオットー・ビスマルクの言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」という言葉があります。

しかし、実際は少し違うらしいです。「愚者は自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるために、他人の経験から学ぶのを好む。」と語ったそうです。それが時を経て、様々な解釈で格言っぽい一文になったのだとか。このビスマルクの言葉だと、他人の誤りを学ぶことで、自分の誤りを避ける事が出来るということでしょうか。他人の成功や誤りから学ぶのが賢者だという事です。

 

僕は支援施設で初めて自分と同じような経験をした人と会いました。

施設に通い始めても、14年もひきこもっていた僕は、部屋の隅の椅子に座り、周りの会話に参加することなく、じっと時間が経つのを待っていたという表現が一番合っていたと思います。

しかし、周りの話から同世代の人がいるとか、似た経験をしている人がいるとか、自分が飲んでる薬の話が出たりとか、話も聞きながら、職員の方に話し掛けられたりしながら、他の方とも話すようになっていきました。段々と固まっていた体と心が緩んでいき、僕の事も話し、共感や許容のような感覚が生まれ始めました。

 

この感覚が生まれてくる事こそが僕には必要な事だったと、今は考えています。だから名古屋で行われた撤退と開拓のハンプクヨコトビのような自己の経験を詩として披露するイベントや、京都での勇気の出るライブで客前で歌などを披露するイベントも同じような感覚を得るきっかけの活動とも言えるのだと思います。

 

僕は名古屋や京都などで出会った仲間と、例えば飲み過ぎて救急車を呼ばれたが隊員に大丈夫だと判断され、駅まで皆に運んで貰ったが、記憶がなく翌日に謝りに廻った事や、イボ痔だった話から排便後の拭き方まで話したあの日等は、恥ずかしかったり、失敗だったかもしれません。

しかし、何でもない日、何でもない話をしたことも、恥ずかしくも笑顔になれる思い出も共感や許容のような感覚を、より強くしていったのではないかと思います。

 

2年ほど前、もし今、死ぬとしたらと考えた僕は、会社と家との行き来のみで、ひきこもっていた時と同じように誰とも話さない日が当たり前になっていました。なので、”回復と解決のみを目標としない”で、もっと笑顔になれる思い出を多くの人たちと作れたらなと、自助グループの活動を始めました。

 

僕は自分の経験と、その時、感じた感覚を信じてきました。最初に戻りますが、そういう意味でも僕は愚者です。

勝手ですが難しい事は分かりませんし、大したことは出来ないですし、感覚は人それぞれなので、僕の経験は意味を持たない方もいますが、愚者である僕が生き抜く事で、生きて良いんだと、楽しんで良いんだと感じて欲しいのです。そんな人が居てくれたら、誰より僕が救われす。

 

例えば就労支援の事業所であっても、家族会であっても、そこが居場所としての役割も担っているのなら、そこは、共感や許容のような感覚を感じる事が出来る場所になるという事です。もしくは、そういう場所であって欲しいのです。

 

6.壊れた時計の人生

 

進まない秒針

 

止まったままの時間 周りからは見えない

 

突然襲ってくる説明できない在る違和感

 

怖いことは 死ぬこと 生きること

 

嫌われること 自意識過剰な自分

 

バカがバレること バカにされること 恥をかくこと

 

寂しい夜に独りでいること でも気付くと朝になっていること

 

嫌われたのか?って大丈夫 好かれてないから嫌われようがない

 

変な奴と思われたかな?って大丈夫 最初っから思われている

 

そんな問答、続けてる やりたい事が有るようで あれこれ考えている内に

 

批判が怖くてナニも言えない 好かれたいなんて思うのは

 

どこか自分が好かれる部分や良い人の部分が有ると自惚れているから

 

何も否定しないで、気にしないようになりたい

 

7.帳尻を合わせたい

 

大ジャンプをしないと間に合わない あり得ない

 

帳尻を合わせるような 僅かな希望でも無ければ やっていられない

 

酒や薬を煽っても 今ここが地獄になる ギリギリ

 

普通とか 敵にしかみえなくなる

 

死を意識せざる得ない時 敢えて一人になりたい?

 

ない方が良いと自覚する僕でも必要とされ

 

そこに、しがみつく事は悪い事?

 

いまだに良い人ぶりたい自分がいる

 

何も解っていない 見えてない自分

 

自分の為に成し遂げるのは無理 でも役に立ちたい

 

ダメな自分の帳尻を合わせたい

 

8.自分を正しくないと思って生活すること

 

正しさが必要と言うのなら僕ではない

 

「誰でも出来ること」 と出来ない自分との間で苦しむ

 

「シンドイ」という言葉に「それが普通」

 

反論できない自分

 

死にたいと思い続けていたシンドさが普通だとは思えない

 

僕は楽しむために生まれてきたと言いたい

 

9.ヒーロー

 

倒れ込んで 動けなくて 最低で

 

薄汚れて 諦めだけで 惨め

 

いっそ 誰からも忘れられたい

 

ずっと 這い上がれないんだから

 

ずっと 覚めない悪夢だから

 

意味なんかないさ

 

楽しむ為にだけ 醜く足掻いて 転がって

 

そしたら絡まるモノが有る きっと

 

10.普通じゃないから

 

40を過ぎて社会復帰といっても新たな苦しみの始まりでもあるし、障害を持っていたって構わないなら健康を声高々にいう必要もない。

良くなるためのとか高めるためにとか、今の自分を否定する所から始めなくていいし、解決が何かも分からない。もう何も目指さない。

 

もうアラフィフだ。生き抜く事だけで後は諦めよう。

人生の長さも健康であるかも関係ない。自分が生き抜いた事だけをメッセージとして残そう。忘れ去られるかもしれないが、それすら、もうどうでも良い。何かの為でもなくても良い、出来れば楽しいと思う方を選んで、そんな生き方もある。

 

「偉い人でなく普通でいい」それは僕が普通に届かない人だという事。

普通以下だと刻み込まれた。だから普通の人に敵意が芽生えた。

敵のようになりたいとは思わないよね?

 

人に心を開いて欲しいなら、まず自分が開く。

寛容になって欲しいなら、自分が寛容に!

変えられるのは自分だけ、自分が変われば周りが変わるなんていう傲慢さも持たないで、誰かが変わったのはその人が変わろうとしただけなのだから。

変わってしまうのも、変われないのも、矛盾だらけなのも人間らしいという事だと思う。

 

11.言いたいけど言えないこと

 

僕は母親に「一体、どうしたの!!」と怒鳴られた事が有る…今思うと母は「私は何をしてきたの!!」という叫びだったのかもしれない。ゴメンね、貴女の責任では無いんだよと今更ながら当時の彼女に言ってあげたい。

 

父親とは、そりが合わないというか最後まで話せなかった。ガンが脳に転移し、好きだった日本酒も辛いと言い飲まなくなり、僕らには見えないモノが見えるようになった。でも母親に、たまに「義行はまだか?」と言っていたそうだ。しかし僕が行くと別に何の反応もなく横になっていた。おそらく父にとっての義行は、まだ素直だった子供の義行だったのだろう。当時の僕は父に最後だけ良い人になり悪いのは僕だけにしたいのか!と酷い事を考えていた。でも今は彼なりに息子を愛していてくれたのかな?と感謝し、一回、二人で飲みたかったなと後悔している。

 

生むこと、育てることは、別の能力。

夜の世界では生きている生き辛い人達の事。

その他マイノリティの生き辛さ。

 

ひきこもって生きてきた時間が長ければ長いほど時間を無駄にしたと思いたくないから間違っていたと批判されれば頑なになり怒りとなる。

端から見たら何もない人生だろうけど、僕にとっては、その時間生きて、そこに在ったのだ。親御さんも子育てが悪いと批判されれば人生すべてを否定された想いになるだろう。ひきこもりに限らず、例えば自分の仕事がバカにされたら?

ずっと信じてきた事が間違いだったとしたら?

 

12.最後に

 

エスポワール名古屋(40代50代のひきこもりの本人と御家族が集える市民の会)を始めて、数人の方が支援施設に通ったり、また相談に行ってくれています。ある会社からは40代、50代の方を積極的に雇用したいとの連絡もありましたし、支援関係でも関心を持ってくれた方もいます。また名古屋だけでなく高山でも活動を始めました。

最近、感じているのは、社会から離れた所にいる僕は思ったより自由だという事です。「ダメでも良いじゃない、ダメだから良いんだ」と言ってくれた人がいましたが、賢くもなく、出来る事もなく、社交性もなく、成功もしてなく、そして若くもない僕が動くことに意味があると思っています。また楽しんでもいいんだ!という事を本人にも、家族にも、支援者にも伝えたい。

 

ただ、ひきこもりと言っても十人十色で、これらが多くのひきこもりを代弁するモノではない事も付け加えさせて頂きます。

今回の文は僕の普段、思ったことを書いていたモノなので今とは違う想いや矛盾もあると思いますが、人間らしいと許していただけたら幸いです。

ひきこもってからの人生で支えになった同級生の、町田弘樹さん、Tさん、そしてOさん、ありがとうございました。京都での同僚で大きな影響を与えてくれた田中暁さん、ありがとうございました。そして何より今回の編集もしてくださった山田孝明さんには、長い間、色んな形で支えていただき、特に再び独りとなった時に寄り添ってくださった事は、心より感謝しています。

ありがとうございました。そして皆さん、これからもよろしくお願いします。

 

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新刊予告 「8050問題をいきる。そしていきたい」10月度末

イシス出版として4冊めの本が発される予定です。

40代50代をひきこもるという人生を送らねばならなった人の手記と、共に生きた家族の思い、市民の会エスポワールに寄せられた手紙などで編集されています。

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