[笑いと悲しみと共に生きたい」拝読しました

ご連絡が大変遅くなりました。

「笑いと悲しみと共に生きたい」拝読させていただきました。
まずタイトルから、山田さんの温かさが伝わってきます。
そして20年間ひきこもっていた40代男性を家族が救出する場面では
家族の葛藤と安堵、それを見守る山田さんの姿が印象的でした。

8050問題が脚光を浴びていますが、なぜここまで長期化、高年齢化が進んで
しまうのか。私もこの問題を取材するようになって答えを探していますが、なか
なか見つかりません。ただ一つ言えるのは、誰でも同じ境遇に陥る可能性がある
ことと、もし傍らに助けになる人がいれば、どこかで立ち直れたかも知れないと
いうことです。

山田さんのような方が一人でも増えるように、私も微力ながら、これからも記事
を書き続けていきたいと思います。

これからもご教示ください

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イシス出版発刊 『8050問題を考える 笑いと悲しみと共に生きたい』 ISBN 978-4-9909979-1-5

本書の内容及び注文方法などについては直接弊社にお問い合わせください。075-751-7276まで

ISBNコード 978-4-9909979-1-5

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イシス出版新刊 8050問題を考える「笑いと悲しみと共に生きたい」著山田孝明 4月15日発売開始 AMAZONにて

8050問題は7040問題でもあります。また20代半ばから30代の若者の支援にもつながります。現状で絶望的な気持ちになります。弊社イシス出版にお問い合わせください

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新刊予告ー「笑いと悲しみと共に生きたい」

大文字山の麓にて

大文字山の麓京都左京区に名刹銀閣寺がある。その近くの北白川通りを北へ10分程歩いたところに彼が社会からひっそりと姿を消して20年程生活をしていた家があった。

実際に彼が生活していたのは大きな母屋の裏手にある物置小屋といってよかった。3畳半おおきさに作られた木造の小屋でした。私は相談を受けたご両親に頼まれて数回その小屋の戸をたたいたことがあり、しかし彼からの返答は何もなかったのです。

初めて御両親の相談を受けたのが10年前の2008年5月のときだった。「いまは42歳になり、ここ10年近く姿はもちろん声も聞いてない」と。ひきこもりが長期化して40歳を超えて、初めて相談を受けたケースで私にとっては<来たるべき時が来た>という思いがあった。   彼は月に一、二度夜遅く小屋から出て母屋の横にある路地を通って自転車で出かけているようだった。父親がみせてくれた小さな手帳に彼が出かけた日がチエックされていた。息子が生きているという思いで10年の日々を送ったのである。またこの記録は息子が生きている証でもあった。食事は深夜小屋から出たところに母屋の台所があり、母親が作った料理や冷蔵庫にある材料を使って調理して食べているようだった。

10年近く声を聞いてないご両親のことは考えると私にはとても切なくおもえた。そして父親の表情から不安と追いつめられている苦悩が窺いしれた。2年後には70歳になろうとしていた。

私は話を聞いて「わかりました。一度訪問してみましょう」とつたえた。小屋の戸の前に手紙や通信を置き、さらに戸をたたいて呼びかけた。数か月待った。彼からの連絡はなかった。私の活動の経験から連絡のないことはよくあることだがご両親の落胆は計り知れないもがあった。

2週間後大阪に住む彼の妹さんの訪問を受けた。「父親母親が真剣に取り組んでいないんです。兄は元気でしょうか?」と私に妹さんは涙ながらに訴えてきたのです。「元気な姿が見たい」という妹さんの言葉が私の心に残りました。数日後ご両親と妹さんと私とで話し合いをしました。率直に今の気持ちを語り合いました。私はご家族に提案をしました。「ひょっとしたら20年近くのひきこもり生活で病気になっているかもしれないし、健康問題が心配だと思うのでご家族で小屋の戸をあけて息子さんとお会いされては」と。そんなことして大丈夫なのかという一抹の不安の表情が母親の顔に見えました。「ご家族が本当に心配されているのならそうされるべきです」と私の気持ちを正直に伝えました。

翌日父親は警察署の安全課に行き、家庭の事情と息子さんの状態を伝え不測の事態に備えぜひ立ち会ってほしいと頼みに行きました。警察署の指示で保健所にも行き保健婦さんの立ち合いもお願いしたのです。

当日の朝、鹿ケ谷から哲学の道を歩き彼の自宅へと向かいました。これからの起こる出来事をぼんやりと考えました。何が起きてもご家族だけはささえたいなと思いました。

約束した時間11時に私とスッタフの町田君、私服の警察官2名、そして保健婦さんも到着し待機していました。その時母親が戸を開けようとして用意していたバールを私に渡そうとしたのです。私は驚きました。「いいえお母さん小屋の戸は家族3人で開けるのですよ」と。さらに「私はしませんよ」と強く伝えました。母親は息子の名前を叫び明らかに狼狽していました。バールを3人で持ち小屋の戸を開けるときやってきました。戸は数秒もしないであっけなく開きました。その時妹さんが「お兄ちゃん、助けにきたよ」と大きな声を出しながら小屋の中に入っていったのでした。今でもこ10年前の光景が鮮やかに思い出されます。その時私たちは何をしようとしていたのか?ひきこもる若者の意志も確認せず、人権侵害という問題もありました。「お兄ちゃん、助けに来たよ」という言葉で私は救われたのです。<ああ!家族だったんだ>と感じたことでさらに私の心が癒されました。しばらくして彼は家族の肩に担がれて母屋のリビングにきました。保健婦さんとの問診がはじまり、それを確認してから私たちは彼の家を辞したのでした。その夜父親から電話があり、「息子には母屋の2階で寝る様にと、それから夕食は家族と一緒に食べる様にと約束させたんです」と嬉しそうな声で連絡してくれました。そして「山田さんに言われたので、小屋の戸ははずしましたよ」と。うすっぺらい木でできた戸が親子の人間関係を15年も断っていたかと思うと感慨深いものがありました。人はしてはいけないといったん思うと人の心は呪縛されやすいのかもしれないと思いました。彼は5日後保健所に出かけ医師の指示で近くのクリニックに通い始めました。2か月後三条神宮道にある居場所ライフアートを訪ねてくれたのです。どうして彼がひきこもるという生活をせざるえなっかたのか、彼だけでなく同じように40代をこえてもそうせざるえない日々をおくっている若者をたくさん知っています。もし、彼らが社会構造の被害者であれば、また何らかの社会病理と関係するのであれば、私たちは社会構造や社会病理が存在するなら真摯に向き合うときがやってきたと思う。もし大きなメスがはいらなければ20代30代の若者たちが長期化し統計的には益々増えつづけるだろう。

10年が過ぎ今年6月、2017年6月のある日に私は彼の自宅を訪ねた。父親は既に他界していた。「母親はちょっと痴ほう症がはいってきたかな、でも元気ですよ。仲良くやっているよ」と彼が教えてくれた。仲良くやっていると聞いて私は安心しました。数分話して後私たちはわかれました。帰り道彼にどんな仕事をしているのかと尋ねるのを忘れました。すぐにそんなことはたいして重要でないことに気がつきました。仲良くやっているとの言葉で十分でした。大文字山の麓にある彼の古いお屋敷のような家の裏手に小屋があることを誰が知っているのだろうか?そしてその小屋で15年近く彼がひきこもるという営みを誰にも気がつかれず続けたのでした。大文字山へは毎年7月ごろには居場所のメンバーと頂上へ上ります。見晴らしの景観は素晴らしいものがあります。頑張って上ってきた達成感も味わう事ができます。そして陽がさす大文字山の麓に彼が生き続けたことを考えると深い人生の趣を感じました。彼は今、52歳になろうとしていた。

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新刊 予告 8050(はちぜろごーぜろ)問題

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投稿 考察「堕落論」   山口まさゆき

『堕 落 論』

坂口安吾は、戦中に比べ終戦後のすっかり変わった世相を見ながら、人間性の本然の中にある「堕落」を考察し、戦争に負けたから堕落するのではなく、元から堕落の本性が備わっているのが人間であることを考察する。しかしながら、一方ではまた人間は、堕落しきることもできない人性も持ち合わせ、全くの自由を許されると不可解な不自由さを感じ、人間性を越えるような義士や聖女、神性を持つ威厳的なるものを追い求めて止まない生き物であることを、自分自身を顧みながら指摘している。
そして人間の本性は、政治の変革などでは変わることもなく、そうした他者からの借り物でない、自分自身の美なる真理を編み出すためには、堕ちるべき道を正しく堕ちきることが必要であると、当時の世相を背景にして「堕落」の理を説いている。

知り得た、
「堕落論」の概要を引用した。
自我肥大化した人間および人間性を、改めて見直す作業も視野に入れる必要性も生じてきた気配がする。
現代をして、
のっぴきならない事態に備え思考の時機到来といえそうな現実の狭間に、我々は存在すると言えよう

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「輝ける闇の光の中で」を読んで 会員番号NO105

お疲れ様です。伊集院です。

著書の感想文です↓
『ひきこもり』という言葉を受け入れ、あるいはその言葉でレッテルを貼られて生きている人たちとはどのような人間なのか?
「千者千様である」というのが解であることは確かで、それ故に『肉感』や『声音』が捕らえづらく、『ひきこもり=不気味』といった近寄りがたいイメージばかりが先行しているのではないか
 この著書では、その千様の、おそらくはほんの一端にすぎないのかもしれないが、先述した肉感や声音を感じることができる。
 額に汗を滲ませることが、命を明日へ繋げる手段であるのと同様、ひきこもりの状態にある人たちは、精神に、思考に汗を滲ませながら、命懸けで生きているのである。
 「ひきこもりもまた、命の輝きである」
 この著書を読んでいただけたのなら、きっとそう思っていただけるに違いない
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Amazonに出店はじまる

日本図書コードセンターより出版者記号が届きました。

来年度より書店及びAmazonに出店できるようになりました。

また、新刊の予定もあります。

 

 

 

 

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エスポワールに143名参加したことへの考察。崩壊しているのか若者支援は?

今年の4月30日に京都オレンジ家族の会が40代50代のひきこもりの子を持つ家族を支援する市民の会をつくろうと呼びかけた。京都新聞社が告知記事に掲載されたので、当日は75名近い人が参加された。小さな会議室しか借りてなかったので大きな会議室に変更せざるえないほど、参加人数の多さに主催側の驚きは大変なものであった。定期的に月例を開き、そして8月27日には、しんらん交流館にて「笑いと悲しみとともに生きたい」という表題のもとフェスティバルを開催するまでとなった。朝日新聞や毎日新聞もこの問題を取り上げてくれたおかげで参加したご家族の実総数は143名となったのである。公的な相談機関にいかれていない、つまり「どこに相談したらいいのか?わからなかった」という人も多かった。公的な機関には<引きこもり支援>という看板を掲げているが本質的にはその支援は苦悩し続ける家族にはまったく届いてないのだ。

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あかりをもとめてー寄稿文 「奥山氏との出会いと思い出」

ある日私のもとに「埼玉の奥山です」と一本の電話が入った。2000年6月のことでした。

丁寧な口調で「山田さんがされる京都オレンジの会の石川県での講演会を私たちにゆずってくれないかな」という話でした。私はすぐに「いいですよ」と応諾をした。

講演会の当日が奥山さんと私との最初の出会いでした。

これが今現在のKHJ全国家族会連合会の全国展開となる契機となり、石川県はその第1号となったのです。町田弘樹君(京都オレンジの会のメンバー)の体験発表のあとで、奥山氏が「家族会の必要性」を熱弁されました。私が驚いたことは彼の話の中で、「私は手術したばかりで余命いくばくもない」と訴えていたことです。講演会のあとでわかったことは、彼の歩き方がぎこちないことから彼の左足が骨肉腫に冒され義足をつけていたことでした。左足すべてが義足でした。この日以来奥山氏から頻繁に連絡がありました。実は近畿関西では石川県で家族会ができる3年前には京都、神戸、大阪、高槻、名古屋と各地に親の会が立ち上がっていました。神戸の場合は120名近い会員から毎月会費を集め、会の独力で兵庫区に3階だてのビルを借り入れるまでになったのです。「我が子の問題も大切だけれど、社会的な問題なので高い市民意識を持とう」と私は訴え続けたのです。京都福祉行政のおかげで京都オレンジの会が共同作業所と認定され活動(但し2016年11月以降は活動していません)できるようになったのです。一行政の動きはドミノ式に神戸、高槻、名古屋と広がり各地の親の会活動が共同作業所の認定を受けたのです。親の会に参加した親にとって他の若者が元気になっていく姿が我が子の姿とかさねあわせて希望となったのです。その後近畿関西の親の会も全国家族連合会に参加してほしいと提言を受けた。私は関西各地の親の会の代表・世話人に相談しました。何人かは難色を示しましたが、山田さんの判断に任せるという一任を得ました。関西人特有の東京・関東なにするものぞという気概があったのです。関西人から見て、奥山氏の存在は胡散臭い存在に映ったのでした。小異を捨てることも大切だと感じていました。各地の親の会が立ち上がり、やがて各地の親の会が中心となって共同作業所が運営できればと思い、それがその当時の私の夢でした。こうして2000年末にはいち早く全国組織の体を成したのでした。

ある日私は奥山氏に福岡県で立ち上げようと提案しました。講演会の前日に西日本新聞社などが告知記事を掲載したので、当日の会場の定員は200名のところ300名近く集まり、立ち見もでてごったがえしました。奥山氏の鬼の形相でひきこもりの子どもを抱える家族がいかに困難な状況に置かれているかを訴えたのでした。私はいまでもこの時の事が忘れられません。奥山氏は時代の風雲児となっていったのです。いや言葉を変えれば時代の寵児でした。スッテキをつきながら生身の足と義足を使って壇上にあがるや「私の命はいくばくもなく、皆さんのご苦労と一緒に歩きたい」と訴えたのでした。マスコミや週刊誌も全国家族連合会を盛んに取り上げたのです。

この頃になって、奥山氏との交流も深まり人柄もよく分かるようになりました。人柄は一言でいうと、お茶目なひとでした。そして投宿した宿の部屋のドアの横には茶色いステッキと義足がいつもたてかけてありました。そして羊のような顎ひげもその頃には立派にみえるようになっていました。

彼はひきこもり支援を求めて厚生労働省によく出かける様になりました。しかしひきこもり支援の流れは別な方向へと向かっていました。工藤定次氏と精神科医斎藤環氏との二人が中心になって引きこもり支援の全国的大キャンペーンがはられました。これは家族会というよりは支援者サイドのキャンペーンでした。工藤氏は活動においても実績があり、斎藤氏も「社会的ひきこもり」の本を上梓し気鋭の若手のホープでした。大きな良質な紙でポスターが作られ参加する人の顔写真ものせるという立派なものでした。活動資金の豊冨さがうかがえました。その当時私一人だけだろうか、これはきっと国策にちがいないと感じていました。その後、若者自立塾・若者サポートステーションの設立へと動いたのでした。あれから15年経ちました。厚生労働省もやっと気がついたのではないでしょうか。ひきこもり支援というスキームにはならなかったことを。ひきこもり支援でなくニート支援だといえばそれまでですが、ニートという言葉も死語になりかけています。いやもう死語かもしれません。多くのひきこもり支援者や支援組織が参加しましたが、もう当時の熱気も感じられず、行政特有のどれだけ就労させたかの数字の提出を毎年のように求められているなら、理念を持ってはじめたNPO法人なら確実に病弊しているか変質しているでしょう。<働かせればうまくいく>と工藤氏がいえば説得力がありましたが、しかし、私の経験から考えると5人に1人の割合でないでしょうか?逆に傷つく若者もいることも予想されます。せめて5人に3人ぐらいの割合で若者が元気なる方策をかんがえるべきでした。斎藤氏にとっていえば若者がどのように元気になるかその過程を本当の意味で知らない人だと気付きました。若者の語りたい苦悩だけを聞いて、語りたくない苦悩や思い出したくない記憶がある現場の実相を知らない人だと推測できました。でなければ、<働ければうまくいく>という行政的なスキームにスイッチを入れるという行為に絶対に加担しないはずだからです。深夜に奥山氏からよく電話が入るようになりました。「俺はジャーナリストに後ろから刺された」と苦渋に満ちた連絡が入りました。私にしか話せないと思われるような愚痴をききました。家族会の声がまさに切り捨てられようとしたころです。

ジャーナリズムは社会に問題が発生すれば話題として取り上げるのは当然な行為ですが実はKHJひきこもり家族会は火がつきすぎた感じでした。国策としてすでに別に流れがあるなら燃えすぎた火に水をかけなければならなかったのでしょう。持ち上げて落とすまるでマッチポンプでした。インターネット上に奥山氏への個人攻撃、批判と中傷があふれました。家族会の活動も勢いを失いました。行政関係者が読めばなんと彼が卑劣な人間だと思うでしょう。「刺された」「どうしてそう思うの」「そのジャーナリストしか知らない書きこみがあった」と。信頼し裏切られたかもしれません。最後に「俺の眼の黒い内は会に出入りさせなから」と怒りと憤懣に満ちた声でした。このことの真偽のことは定かではありません。しかし寄稿文を書くにあたって残したい彼の言葉とだと思いました。私はいつも「奥山さんがしてきたことは間違ったことしてないですよ、それどころか、多くの支部の世話人からは感謝の言葉が多いですよ」と言って励ましたものです。ひきこもり問題の解決のモデル作りが始まったばかりの時期でした。これだけはシステムを作り運営してみないとわからないものです。

私はある確信があり、「若者自立塾も若者サポートステーションもひきこもり支援においては必ずいきづまるよ、当事者が望んでいる本質な支援でないから」と奥山氏に言い放ったことがありました。しかし、家族会の会員は奥山氏の行動力に期待していました。期待にこたえるにはまだ遠く道を歩かねばなりませんでした。「山田君、雌伏10年だね」とポツリと言ったのです。

 

そして雌伏10年半ば、彼は斃れたのです。

 

講演会で「皆さんも立派な納税者です。ですから私たちの困難な状況を行政に伝え、しっかりとした支援をもとめましょう」と訴えていました。しかし、それを見届けることもできず、彼は斃れたのです。「余命いくばくない」と言った人生を正に実行して生きたのでした。今回、埼玉県で全国家族会の立ち上げに参加した、奥山雅史氏にとって無二の人、中村進氏が<あかりを求めて>という本が上梓された。この本は奥山氏の活動の記録を克明に書ききった貴重な記録でもありKHJ全国家族連合会の資料となることでしょう。

私は中村氏が書いた<青の洞門>のエピソードが私から見た奥山氏の活動のエネルギーの根源的なものを感じた。10年かけて大きな岩に人が歩ける穴を掘り続けることだったのだ。この本の中で一番心が動きました。私にとってはかけねなく好きな章です。

40代以上のひきこもり問題が深刻化している昨今ですが、私が本当に深刻だと思っているのが23才から32歳ぐらいまでの若者を真に受け止める行政の支援窓口がないことです。今年2017年4月30日京都で 40代50代のひきこもりの子を持つ家族を支援する市民の会を立ち上げた。<市民の会 エスポワール>です。ある人になぜ今こんな会を立ち上げるのかと尋ねられたとき、奥山氏の魂が私の心に「山田君」と呼びかけ突き動かしたのかなと、ふとそう思った。いやそうにちがいない。まだ私の心には生き続けていたのだ。

2017年5月31日  山田孝明

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