新刊予告ー「笑いと悲しみと共に生きたい」

大文字山の麓にて

大文字山の麓京都左京区に名刹銀閣寺がある。その近くの北白川通りを北へ10分程歩いたところに彼が社会からひっそりと姿を消して20年程生活をしていた家があった。

実際に彼が生活していたのは大きな母屋の裏手にある物置小屋といってよかった。3畳半おおきさに作られた木造の小屋でした。私は相談を受けたご両親に頼まれて数回その小屋の戸をたたいたことがあり、しかし彼からの返答は何もなかったのです。

初めて御両親の相談を受けたのが10年前の2008年5月のときだった。「いまは42歳になり、ここ10年近く姿はもちろん声も聞いてない」と。ひきこもりが長期化して40歳を超えて、初めて相談を受けたケースで私にとっては<来たるべき時が来た>という思いがあった。   彼は月に一、二度夜遅く小屋から出て母屋の横にある路地を通って自転車で出かけているようだった。父親がみせてくれた小さな手帳に彼が出かけた日がチエックされていた。息子が生きているという思いで10年の日々を送ったのである。またこの記録は息子が生きている証でもあった。食事は深夜小屋から出たところに母屋の台所があり、母親が作った料理や冷蔵庫にある材料を使って調理して食べているようだった。

10年近く声を聞いてないご両親のことは考えると私にはとても切なくおもえた。そして父親の表情から不安と追いつめられている苦悩が窺いしれた。2年後には70歳になろうとしていた。

私は話を聞いて「わかりました。一度訪問してみましょう」とつたえた。小屋の戸の前に手紙や通信を置き、さらに戸をたたいて呼びかけた。数か月待った。彼からの連絡はなかった。私の活動の経験から連絡のないことはよくあることだがご両親の落胆は計り知れないもがあった。

2週間後大阪に住む彼の妹さんの訪問を受けた。「父親母親が真剣に取り組んでいないんです。兄は元気でしょうか?」と私に妹さんは涙ながらに訴えてきたのです。「元気な姿が見たい」という妹さんの言葉が私の心に残りました。数日後ご両親と妹さんと私とで話し合いをしました。率直に今の気持ちを語り合いました。私はご家族に提案をしました。「ひょっとしたら20年近くのひきこもり生活で病気になっているかもしれないし、健康問題が心配だと思うのでご家族で小屋の戸をあけて息子さんとお会いされては」と。そんなことして大丈夫なのかという一抹の不安の表情が母親の顔に見えました。「ご家族が本当に心配されているのならそうされるべきです」と私の気持ちを正直に伝えました。

翌日父親は警察署の安全課に行き、家庭の事情と息子さんの状態を伝え不測の事態に備えぜひ立ち会ってほしいと頼みに行きました。警察署の指示で保健所にも行き保健婦さんの立ち合いもお願いしたのです。

当日の朝、鹿ケ谷から哲学の道を歩き彼の自宅へと向かいました。これからの起こる出来事をぼんやりと考えました。何が起きてもご家族だけはささえたいなと思いました。

約束した時間11時に私とスッタフの町田君、私服の警察官2名、そして保健婦さんも到着し待機していました。その時母親が戸を開けようとして用意していたバールを私に渡そうとしたのです。私は驚きました。「いいえお母さん小屋の戸は家族3人で開けるのですよ」と。さらに「私はしませんよ」と強く伝えました。母親は息子の名前を叫び明らかに狼狽していました。バールを3人で持ち小屋の戸を開けるときやってきました。戸は数秒もしないであっけなく開きました。その時妹さんが「お兄ちゃん、助けにきたよ」と大きな声を出しながら小屋の中に入っていったのでした。今でもこ10年前の光景が鮮やかに思い出されます。その時私たちは何をしようとしていたのか?ひきこもる若者の意志も確認せず、人権侵害という問題もありました。「お兄ちゃん、助けに来たよ」という言葉で私は救われたのです。<ああ!家族だったんだ>と感じたことでさらに私の心が癒されました。しばらくして彼は家族の肩に担がれて母屋のリビングにきました。保健婦さんとの問診がはじまり、それを確認してから私たちは彼の家を辞したのでした。その夜父親から電話があり、「息子には母屋の2階で寝る様にと、それから夕食は家族と一緒に食べる様にと約束させたんです」と嬉しそうな声で連絡してくれました。そして「山田さんに言われたので、小屋の戸ははずしましたよ」と。うすっぺらい木でできた戸が親子の人間関係を15年も断っていたかと思うと感慨深いものがありました。人はしてはいけないといったん思うと人の心は呪縛されやすいのかもしれないと思いました。彼は5日後保健所に出かけ医師の指示で近くのクリニックに通い始めました。2か月後三条神宮道にある居場所ライフアートを訪ねてくれたのです。どうして彼がひきこもるという生活をせざるえなっかたのか、彼だけでなく同じように40代をこえてもそうせざるえない日々をおくっている若者をたくさん知っています。もし、彼らが社会構造の被害者であれば、また何らかの社会病理と関係するのであれば、私たちは社会構造や社会病理が存在するなら真摯に向き合うときがやってきたと思う。もし大きなメスがはいらなければ20代30代の若者たちが長期化し統計的には益々増えつづけるだろう。

10年が過ぎ今年6月、2017年6月のある日に私は彼の自宅を訪ねた。父親は既に他界していた。「母親はちょっと痴ほう症がはいってきたかな、でも元気ですよ。仲良くやっているよ」と彼が教えてくれた。仲良くやっていると聞いて私は安心しました。数分話して後私たちはわかれました。帰り道彼にどんな仕事をしているのかと尋ねるのを忘れました。すぐにそんなことはたいして重要でないことに気がつきました。仲良くやっているとの言葉で十分でした。大文字山の麓にある彼の古いお屋敷のような家の裏手に小屋があることを誰が知っているのだろうか?そしてその小屋で15年近く彼がひきこもるという営みを誰にも気がつかれず続けたのでした。大文字山へは毎年7月ごろには居場所のメンバーと頂上へ上ります。見晴らしの景観は素晴らしいものがあります。頑張って上ってきた達成感も味わう事ができます。そして陽がさす大文字山の麓に彼が生き続けたことを考えると深い人生の趣を感じました。彼は今、52歳になろうとしていた。

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