親の死体と生きる若者たち     奥村義行

三十七才の春、父親が死んだ。

珍しく家族四人が緩和ケアの病室に集まっていた日曜日だった。

僕はひきこもりの支援施設に通いはじめて一年がたった頃で相変わらず無職だった。

父親が心筋梗塞やガンで治療している時も僕はひきこもりで、もちろん医療費も葬儀代も払えない。

しかし、長男なので喪主を務め、当時の僕は晒し者に近い感覚でした。

母親、姉、親戚が居たから事は進んでいったが、もちろん僕一人では何も出来なかったかもしれません。

 

しかし、当時の僕は親より先に死ななくて最低限の親不孝しなくて済んだと思っていた。

それからは母親より長生きすることが一種の目標となっていました。

 

あれから十年が過ぎました。

最近は本当に親より先に死ぬことが親不孝なのか分からなくなってきました。

障害者枠のアルバイトをしている僕は生活保護前後の収入で一人で生きていく事が決定的になっている。

そんな息子を残し逝く母親は、どういう気持ちなのか?と思うと先に死ぬことも悪ではないのでは?とも考えるようになりました。

母親だけでなく、親戚等の不安も考えると僕が先に逝く事の方が良策のようにも感じます。

 

外に出ている僕が、そのように感じているが、もし僕が、まだひきこもっていたら、一体、何を希望に外に向かうのだろうか?

 

 

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