記録して記憶することの一考察。 山田孝明

8月25日京都のライフアートに関西、西日本の関係者が集まり市民の会エスポワールの法人化に向けての総会が開かれた。私にとっても活動に対する色々な考えが整理できた時間ともなった。

高齢化した家族とひきこもりの若者たちへの支援の課題は私たち民間団体としてもとてもむつかしいところがあると考えている。行政機関の方がこの問題に取り組めば支援が速やかに行くかもしれないと。それでも私が8050問題に関わり続けているのは何故かと自らに問いかけてみた。それはこの問題に対して「記録して」「記憶」したいという思いがあるためです。関西、西日本を中心に家族たちの苦しみの声に接して、私自身の無力感と

絶望感を持つ。しかし私のできることは彼らの声を記録して記憶することはできる。戦争末期、特攻兵として戦地に向かう若者たちの家族に宛てた手紙や手記が残されている。記録から後世の人がこの時代がどんな時代であったか考察する手がかりとなるのだ。私はすこしでも多くの方の手紙や手記や見たこと感じたことを残したいとおもっている。屋根はついているが野ざらしのように命を尽き果てた人々の記録と記憶は最も大切だ。何百とも記録したい。私たちが生きた時代がどんな時代だったか後世の人が検証できるように何百という記録を集めたい。

今、私にできることはと問われれば、「記録して」「記憶」することだと答えたい

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