せめて老いた親と子が

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5月11日 毎日新聞大阪版にて

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ひきこもりの方々が親の死に遭遇した時

ひきこもりの方々が親の死に遭遇した時

ひきこもりの子どもが、親が亡くなった時、どうすることもできず、結果として警察に死体遺棄事件として逮捕される、ということが起こっている。例えば、2018年4月に神奈川県で49歳の男性が76歳の母親が亡くなった時、死体遺棄容疑で逮捕された。

 

京都市東山区で全国のひきこもりの方々を支援している山田孝明氏によると、「ひきこもりの人々は、今まで社会に背を向けてきた人たちである。なぜ彼らが親の死に際して、葬式という社会的な儀式をすると考えるのか。」とのことである。

 

たしかに冠婚葬祭とは、最も社会的な活動と言えるだろう。他者の特別な出来事に対して、集まり、祝ったり、弔ったりするのは人間的な行いである。

アリストテレスは、「人間は社会的動物である。」と書いた。

 

しかし、ひきこもりの人々は、結婚式などのお祝い事には、家族・親族から呼ばれず、あるいは呼ばれても行けないというケースもある。前述の山田氏の語るように、なぜ親の葬式だけは行うのが義務とされるのか。

 

必死で生きてきたひきこもりの当事者の方々と親の方々が、親の死という出来事に際し、警察に逮捕されるということは、私は許せない。社会の側も、ひきこもりの方々やその家族の方々に「背を向けてきた」のである。親の死という出来事に限り、社会が引きこもりの方々に介入してきて、罰を与えるというのは、不公平なことではないだろうか。

山田氏によると、山田氏の電話には、引きこもりの方々から、「親が亡くなりました。」という相談がかかってくるという。山田氏の様な支援者に会えているということ、電話ができるくらいのエネルギーがあるというのは不幸中の幸いであると思う。

 

完全に孤独な状態のひきこもりの方々、社会と関わっていないひきこもりの方々が、親の死に際し、どうしたらいいのか分からない、というのは容易に想像ができることである。

私達はひきこもりの方々が親の死という出来事に遭遇した時に、社会から罰せられるのではなく、「葬式という社会的な儀式」ができるように手伝いをしたいと考えている

投稿者 西川 和弘

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親の死体と生きる若者たち

時代の叫びに、こころ掻きむしられる日々

 

〈著者紹介〉

山田孝明(やまだ・たかあき)

1953年名古屋で生まれる。

1994年京都市東山区に若者の居場所ライフアートを設立する。京都・大阪・神戸・名古屋と各地に「オレンジの会」を立ち上げる。奥山雅久氏と共にKHJ全国ひきこもり家族連合会を設立する活動に参加する。現在は40代50代のひきこもりの子供を持つ家族に特化して「市民の会 エスポワール京都」を主宰する。京都・名古屋・岡山・兵庫・広島と関西西日本を中心に家族の勉強会・講演活動をしている。

〈書籍情報〉

書 名:『親の「死体」と生きる若者たち』

著 者:山田孝明

定 価:1400円(税別)

判 型:四六判並製 216ページ

ISBN :978-4- 7926- 0651-0

発売日:平成31年3月20日

発 行:株式会社青林堂

※詳細はhttp://www.garo.co.jp/comic/aum.htmlまで

 

〈主な内容〉

  • 統計の対象外になっている40代以上のひきこもりは17万人以上。
  • 社会に認識されない40代50代ひきこもりの親たちのやりきれない思い。
  • 8050問題は、高齢の親を死ぬまで苦しめ、子供も苦しむ。
  • 母と娘が誰にも気づかれず……。孤立する親子の行き着く先。
  • 親が亡くなり、息子は死体遺棄で逮捕。親子心中で懲役刑というケースも!
  • 親より先に死ぬことが親孝行!? 50代ひきこもりの悲痛な本音。
  • 支援活動の現場から。50代ひきこもりも変わることができるか。

 

【本件に関するお問い合わせ先】

株式会社青林堂

Tel:03-5468-7769 Fax:03-5468-7369

Email:japanism@garo.co.jp

担当:上原(かみはら)

 

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お蔵入りになったインタビュー記事とその後

「お蔵入りになったインタビュー記事とその後」

 

 

記者として取材させていただき心に深く残った出来事がありました。

山田さんにお誘いいただき某市で開催された8050問題の当事者の集いに

参加しました。そこで出会ったのが、70代の母親Aさんと40代のひきこもりの息子さんです。集いの語りの中で「死ぬような思いでここへ来た」と話す息子さんの言葉が気になり、終わったあと話を聞きに行きました。その時の息子さんは本当に言葉少なな様子。

一方お母様は朗らかで話しやすい雰囲気の方でした。じっくり話を伺うため後日改めてインタビューをお願いします、と厚かましいお願いをしてから1月ほどたち、お母様の取材が実現しました。

しかし聞けば息子さんには一切言わずに来た、くれぐれも伝えないようにとおっしゃいます。人物特定が出来ないよう細心の注意を払って記事化することを約束しました。

そののち1週間程、いよいよ記事にするぞ、という日の朝のことでした。お母様から携帯に電話が入りました。「やっぱり私が話したことは記事にしないでください。もし息子にわかったらどうなるかわからない」。切羽詰また様子にびっくりした私は、インタビューの掲載を取りやめる事を決めました。8050の当事者である親と子がギリギリの状態の中、なんとか踏ん張って生きていることがやっと実感として迫ってきました。残念ではありますがインタビュー記事はお蔵入りとなりました。

ところがそれで終わりではありませんでした。1年近くたったつい最近、とても嬉しいことが起きたのです。

ある夜、また携帯電話が鳴りました。知らない番号です。誰だろう?と思って出てみると

Aさんの息子さんからでした。1年前と打ってかわって声が元気です。そして、家を出て自立しようとしていると話してくださいました、そして取材に応じてもいいと。なんと嬉しいことでしょうか。その数日後には仕事が決まったという連絡もいただきました。

1年のうちに一体どんな変化があったのでしょうか。

「死ぬ思い」で出てきた集いが1つの大きなきっかけであったことは間違いありません。

近くAさん親子に取材に行きます。今度こそ記事が掲載できます。親子の体験談はきっと誰かの背中を押すきっかけにつながるはず、そんな一助になれたらこんなに嬉しいことはありません。

 

(ジャーナリストM・Y)

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今からできることを、今かんがえる  石川 智

元・引きこもりFPからの提言 ~今からできることを、今考える~

福祉ファイナンシャル・プランナー(FP) 石川智

20代の私を反面教師に

今でこそ講演で多くの人の前に立つこともあるし、地元のテレビ番組に出てしまっていたりするが、私、実は20歳~22歳にかけて「プチ引きこもり」をしていた。当時の私は、大学受験に失敗し、地元を離れて、世田谷にある下宿で浪人生活をしていたが、段々と予備校に行かなくなり、1浪で臨んだ受験は全敗してしまった。

親には希望を持たせてしまっているのに、それを全く実現しようともしない自分を卑下しながら、徐々に私は下宿先の自分の部屋から出なくなっていった。夜間の銭湯や、深夜のコンビニには行けるが、予備校は当然のこと、「昼間に人に会う」なんてとてもできなくなり、段々と友人が減り、さらにまた部屋に閉じこもる、という生活になってしまったのである。

幸いだったのは「親と離れて暮らしていた」ことだったが、親の脛をかじり続ける自分に嫌気はさしてはいたものの、そこから一気に脱出する気力もなく、2年が過ぎてしまった。そんな私も3浪目にはさすがに「まずい」という気持ちになり、何とか2校を受験して、何とか合格した。その後、何とか大学を卒業して、地元高知で就職。その後様々な経験を経て、現職になったというわけである。だから引きこもり当事者の気持ちは、なんとなくは理解できるし、サロンなどで、部屋から出てきた当事者の話を聞くと、共感することもある。

私は「なぜ引きこもったのですか?」という質問には今でも回答できないが、「なぜ途中で出てきたのですか?」という質問には答えられる。それは「私の2年間を深刻に捉えないでいてくれる友人がいた」ということに尽きる。この2年で沢山の人が私から離れたが、その友人は、しつこいぐらい、決して私から離れてくれなかった。むしろその2年間を「心にちょっとした怪我をした」程度に捉えてくれた友人のおかげで、私はなんとなく「出る」ことができた、と今では思うのである。

リ・スタートを切るにあたり

この友人の立ち位置を冷静に分析すると、本人にとって重要なのは「何時でも部屋から出られる環境が、その時に確実にある」ということだ。この「部屋から出られる環境」とは、「出た時に普通に受け止めてくれる安心感」、そして「何時でも再スタートしていいのだという寛容さ」ではないかと、経験上思う。こうした周りの「ほんの少しの配慮」があれば、引きこもり当事者は、いつかそこから脱する可能性があると言える。

そうして部屋からでた本人に待っている課題は、「生活していくお金」と「生活していくスキル(ソーシャルスキル)」であることは言うまでもない。

ここで重要なのは、「現に暮らしていける」ということと「周りから疎外されない・繋がりを持てる環境にする」ということである。前者に代表されるものが「料理がある程度できる」ことであり、後者の代表が「最低限の掃除ができる」ということである。

料理ができる人は、買い物もできる人と言える。この二つができると、生活にかかるコストが計算しやすくなる。つまり、概算で1カ月にいくらで暮らせるかがわかる。ここからさらにどれくらいの就労が必要なのか、収入が足らない分を親などがどれくらい準備しておくことになるか、などの具体的な「お金」の課題が見えてくる。逆に言うと、料理や買い物ができないと、この「お金」に関する部分は、不鮮明なままになり、本人も、親も、支援者も具体的な就労支援や相続対策に取り掛かれないのだから。

そうして仮に生活を始めたとしても、掃除がある程度できないと、必然的に住環境が悪化し、ごみ屋敷化する危険性が高まる。本人はそれでも「暮らせる」かもしれないが、問題なのは、そうした住環境になると、支援の手が入りにくいという点にある。ごみ屋敷には人はなかなか近づかないのは、誰もが経験上わかっていることであるからだ。その意味からも、掃除やゴミ捨てができるようになっておくことが、重要なスキルと言える。

 

最後に専門家として伝えたいこと

80-50の現実的な課題に「親に何かあった時に、本人のお金は大丈夫なのか?」ということがある。これを「親なき後の心配」と言うが、先述した「生活費をどう計算して、不足分をどう補うか」を本人、家族、支援者で共有しておくことが重要になる。本人ができることと、家族ができることと、支援者ができることは同じことではなく、それぞれが「自分に今できること」を取り組むことで、この「親なき後の心配」は軽減されていくのである。

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親の死体と生きる若者たち     奥村義行

三十七才の春、父親が死んだ。

珍しく家族四人が緩和ケアの病室に集まっていた日曜日だった。

僕はひきこもりの支援施設に通いはじめて一年がたった頃で相変わらず無職だった。

父親が心筋梗塞やガンで治療している時も僕はひきこもりで、もちろん医療費も葬儀代も払えない。

しかし、長男なので喪主を務め、当時の僕は晒し者に近い感覚でした。

母親、姉、親戚が居たから事は進んでいったが、もちろん僕一人では何も出来なかったかもしれません。

 

しかし、当時の僕は親より先に死ななくて最低限の親不孝しなくて済んだと思っていた。

それからは母親より長生きすることが一種の目標となっていました。

 

あれから十年が過ぎました。

最近は本当に親より先に死ぬことが親不孝なのか分からなくなってきました。

障害者枠のアルバイトをしている僕は生活保護前後の収入で一人で生きていく事が決定的になっている。

そんな息子を残し逝く母親は、どういう気持ちなのか?と思うと先に死ぬことも悪ではないのでは?とも考えるようになりました。

母親だけでなく、親戚等の不安も考えると僕が先に逝く事の方が良策のようにも感じます。

 

外に出ている僕が、そのように感じているが、もし僕が、まだひきこもっていたら、一体、何を希望に外に向かうのだろうか?

 

 

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人とのつながりの重要性を強く感じました。

京都に来て一人暮らしを始めて半年が経ちました。

それまでは実家の仕事を手伝っていましたが、些細なことで引きこもり一年ほど経ってついに心配になった両親が救急車を呼びそのまま2ケ月ほど入院しました。その後退院したあとで山田さんの助力を得て今に至ります。

ひきこもっている期間はとても苦しかったです。両親にも、だれにも顔を合わせず、自分の存在が周りの人を苦しめているのは分かっていても自分ではどうすることもできず、なるべく存在が意識されないよう呼吸すらしづらい毎日でした。いっそわたしなんていない方がいいと思い何度も命を断とうとしましたが、その度に失敗したり踏み切れなかったりして、死ぬことすらできないのかと更に自己嫌悪に陥りました。そこから無理やり連れ出され精神病院へ入院しました。私の場合は一年と少しでしたが人によっては10年20年さらにはそれ以上ひきこもっている人も多いそうです。

「親の死体と生きる」それは単なる冗談ではなく実際に起こりうることなのです。もしもあのまま親も私も踏ん切りがつかず、おやが亡くなるまで現状を変えることができなかったらどうなっていたでしょうか?隣の部屋で冷たくなっている親に気付いた時果たして何十年間もひきこもり誰とも交流のない私はその後の対応をそつなくこなせるでしょか。おそらく無理だと思います。状況によっては犯罪者になっていた可能性もあります。そう考えると私は幸運でした。

今までの経験を通じ、人とのつながりの重要性を強く感じました。現状を打破するために救急車を呼んでくれた両親、その両親をサポートし相談に乗ってくれたオレンジの会のみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。

 

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イシス出版新刊 「8050問題を生きる」弊社にて直接販売してます。

11月5日発売開始。メールまたはお電話(090-3825-3156)までお申し込みください 定価1000円(税別) 

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いつも自分のあり方が問われている

いつも自分のあり方が問われている

ジャーナリストとして8050問題を取材する。

今回の投稿イニシャルを希望   A.Kさん

3年ほど前から、記者としてひきこもりの人のことを取材している。きっかけは、ひきこもりの人がいる家族で起きた事件だった。親御さんが、子どもの将来を悲観して、ひきこもっていた子どもに手をかけたり、心中をはかったりしていた。家庭内暴力があったケースもあった。他者とのつながりを欠く時期が長くなり、本人も家族も孤立し、疲弊しきっていた。そんな話をご本人や家族から聞いていると、ただただ無力感を覚えた。

誰かがひきこもるきっかけや経緯はもちろん様々だ。それぞれの人生のストーリーがある。学校でのいじめ、リストラ、障害や疾患を抱えた方のこともあるけれど、外から見たら決してわかりやすくはないようなことが重なって、ということもある。長くひきこもった結果、精神疾患をともなうようになった人もいた。いずれにしても、今の社会や地域や家族に息苦しさを感じて、自分の安全を守るためにひきこもっている、ように私には見えた。それは今の社会がどんなに生きづらく、窮屈なものであるかを警告、体現しているかのようだった。

もちろん、元気にひきこもりライフを楽しんでいる方がいるなら、それはそれでいいのだけど、多くの人はそうではないから心配なのだ。問題なのは、働けない人が増えるからとか、いつまでも親元にいるからとかではなく、生きるエネルギーを失ったり、消えたいとまで思いつめてしまったり、そういう人がたくさんいることなのだと思う。

 

取材自体、いろいろと苦しい気持ちになることが多い。ご本人でも、家族でも、話しにくかったはずのことを聞かせてもらうと、「本当にごめんなさい」という気持ちになる。時には「ひきこもったこともないくせにと思われているかもしれない」なんて思いながら、おそるおそる取材をしている。

長年、同居する家族とさえ口を聞いていないという方のことに思いをはせるとき、ただただその苦しさが自分の中に流れ込んでくる。人は群れの中で生きつつ、そういった群れの中にいる意味とは離れて個として生きていると思う。けれど、ひきこもるというのは、群れに圧迫されまいと強く強く壁をつくっているのに、個としての自分の境界が曖昧になっていくような、そんな気がする。

 

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