4月23日 ひきこもりを考える講演会

輝ける闇の光の中でー講師 山田孝明

姫路市市民会館 第一会議室

pm2時~3時30分

主催 京都ライフアート

講演 姫路市

協賛 はりまいのちの電話 京口カウンセリングセンター

問合せ 075-751ー7276  090-6917-6112(児島)

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こころの扉をあけて

兵庫県の井上さん(女性)からたくさんの詩を送ってもらいました。是非本の形でイシス出版から発行したいと思ってます.

やさしさ

なんで わたしはわたしなんだろう

「わたし」でいなくちゃいけないんだろう

だれかの鼻へ流れる 甘い甘い、金木犀の香りになりたかった

まあるく音響く か弱くさみしい空気でいたかった

生受け止めるあなたのその綺麗な爪 ずっとみつめていたかった

だれかの頬つたう 必然の、あたたかい涙がよかった

名前も場所も知らない遠い遠い外国の海でさえ、「生きろ」とわたしにいっている

 

悲しみよりも脈打つ鼓動を

春よりやさしさを

 

愛なんてわからない 永遠に

わたしの眼は遥か向こう 赤い空を見つめている

やさしさ なんてあるのだろうか

大嫌いなわたしにやさしい日々なんて来るんだろうか

「さようなら」なんて誰だって言いたくない

だから、木々に、優しい植物になりたがったんだ

 

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「小説みたい」と言われて  山田孝明

昨夜、大学教授をされているある女性から電話をもらいました。「山田さんが書かれた本、小説みたいだった」と言われました。なるほど、初めて言われた感想だなと思いました。本当のところ少し嬉しかったです。19歳の時、漠然と将来は詩人か小説家になれたらいいなと思ってました。そして1冊の本を書き上げて、願わくば夭折できたらなとひそかに思ってました。

 

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一緒に乗り込む箱舟ー 竹田 正

「友よともに未来を生きよう」を読んで。

8年前、僕は21歳で京都オレンジの会ライフアートにメンバーとして所属していた。まだ社会に出る前、山田さんから「生存協同組合を作ろうと思う。」という話を初めて聞いた。いろいろ内容については聞かされたが、その時はまだヤング過ぎてさっぱり理解できず、「そんなの作って誰のの役に立つのだろう・・・・そんなことより早く安全な就職先を紹介してほしい!」と内心思ってました。その時は単純に仕事さえうまく続ければすべてのうまくいくと、思い込んでいました。何も知らなかったのです。「就労の先」にある苦悩というものが。

この本に書かれている生存保障のメッセージ「生きていて良いんだよ。今の君のままでいいんだ」このメッセージを若者たちに届ける事は非常に大切だと感じました。メッセージを受け取った若者が、「今の自分のままでいたいけど、苦しい辛い。ありのままでの自分で幸せになるにはどうすれば良いのか」つまり、行き方支援にすごく共感できました。また98ページに「多くの若者たちが巣立っていったが、その中で上手く適応出来た若者たちにはある特徴がありました。彼らは卒業後に数人の仲間同士で近所に住み、時間があればお互いの家を行き来していた」とあり、町田さんはそれを「仲間(生存協同組合)と一緒に乗り込む箱舟」と表現されてました。

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書評へのこころみー藤沢三佳 

『輝ける闇の光の中で』山田孝明著 寄稿文:芹沢俊介

 

本書は、「社会的ひきこもり」論が盛んになる以前、最も早い時期からひきこもる若者に対する支援活動を始めた著者が20年以上にわたる貴重な活動を、若者の手紙や手記も交えて収めて記録したものである。著者は、京都市東山区を拠点として、遠く石垣島をも含む各地に若者の「居場所」や社会参加の場をつくり、訪問活動をおこない、また親の集いを全国に先がけて作り、家族会の発祥の源流となった。その自由自在な活動には吉本隆明氏も魅了されて幾度か講演をおこなった。やがて当時の若者世代は行政支援が及ばない50代になり、「フィフティーの会」もつくられていく。

なぜ長くひきこもる人が著者の訪問には奇跡的に心を開くのか、それはどこまでも当事者の苦しみに寄り添い、そっと手を差しのべる著者の存り方によるもので、若者がそれに感応する様子が、著者、若者、家族の個々の交わりのなかで示されている。この透徹した当事者に寄り添うまなざしは、単に「社会復帰」「就労支援」等の枠に収まらず、後の「生存協同組合」という名称が示すように、生の尊厳を最も大切にし、それ故に人は心を開くのである。社会適応や治療的モデルではなく、「友とともに居るなかでの自己快復モデル」とも言える。「就労支援」へのプレッシャーや挫折によって傷つく若者の存在等、ひきこもり支援の問題点も提示されている。芹沢俊介氏の論考が寄稿され、著者が精神的支柱とする、ひきこもることを否定せず受けとめる「存在論的ひきこもり論」に関する緻密な理論的考察がなされている。

数々の訪問について綴られているが、ある若者は10数年外へ出なかったが、何度か話すうちに、著者のいる「居場所」へ行く勇気が出るが、人が怖いので列車の待合室の2,3人の人影を見て乗れなくなる。そこで著者は運転手に人がいない無人駅を尋ねて、そこからやっと旅立つことができる。本書には、若者との魂の交流、希望の提示という深い実存的な内容が示され、彼らにむけて美しい文学的、詩的表現で語りかけられており、読む人の心を揺さぶる。

(イシス出版 isisshuppan@gmail.com)

 

藤澤三佳(京都造形芸術大学教授)

 

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近刊予告 「我が心は石となる」-  著者 山田孝明

高橋和巳氏著書「わが心は石に非ず」という本があります。学生運動盛んなときにだされた本です。私は40年以上前に読んだ懐かしい記憶があります。

そのタイトルと似ていますが、時代という大きな流れの池に、私もまた小さな石を投げてみたいと思ってます。(山田)

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はじめの一歩「友よ、ともに未来を生きよう」を読んで マイケル松尾 

この本を読んで、山田さんの引きこもり支援の濃密で雄大な歴史を感じることができた。

特に、しょっぱな、はじめの一歩(K君への返信)では、これは私への返信ではないかとも思えた。私も緊張と不安がつよくて、自分で勝手に「自分なんかここにいていいのだろうか?」と自分で自分を評価してしまう。評価は人にまかせればよいのに。その結果、人の中にいるとオドオドしてしまい、自分の存在が不安になり、いたたまれなくなってしまう。今はなき、ライフステーションでも、何度も、皆の中からスッと消えていなくなってしまうことがあった。そのたびに、山田さんや、心配したスタッフの方々、メンバーの方々が、私を探しにきて頂き、私は、緊張と不安から一時的に解放された安堵感を味わうと同時に、見つけて頂いたときには、気恥ずかしさを感じた。
はじめの一歩(K君への返信)にもあるように、私の目は内側に向かってしまっている。もっというと、本来なら、外側に向けるエネルギー(仲間との会話や、趣味など)より、内側に向けるエネルギー(自分が存在していいかどうか、自己存在への不安、心理的なしばり)が、極端に大きく、いっぱいいっぱいで、外側に向けるエネルギーにとても、使えなかった。内側と外側のエネルギー配分を間違っているんです。だからとても、生きづらい。もちろん、同じ体験をして、人が普通に10を吸収することでも、エネルギー配分が間違っていたら、緊張と不安でいっぱいになるから、1か2しか吸収することができない。そうなったのは、幼いころの家庭環境とか、それに基づく自己肯定感の低さの問題とか、色々、あるんです。
ちょっと、僕は、自分を掘り下げてしまう癖があって、そうそう、この本を読んだ感想でした。
町田さんの「働いて自立さえすれば全ての問題は解決する」という項目、今の私も時々、ふっと思うことで、世の中の同じ年の人は、会社でバリバリ働いているのに、自分は怠けているのではないかと思ってしまいます。それは、とてつもない焦りとプレッシャーです。自分の人生は、もう終わったとも思います。
そういう気持ちになるのは、とても苦しいから、「働いて自立さえすれば全ての問題は解決する」と。とにかく、働いて自分で自分を養えるようになれば、それで全てOKなのだと。しかし、ややもすると、この世の中は、助け合いの世の中なのだから、仕事だけの問題ではなく、人間関係だけは、生きている以上、避けて通ることはできないという、堂々めぐりのスパイラルに陥ってしまう。
今のありのままの自分を客観的に捉えたとき、やっぱり自分にとって、居場所や、同じ境遇の仲間は必要不可欠なのだと思います。
この本を読んでいるうちに、ガチガチの価値観で、人生を悲観していた心が、ゆっくりほぐれてとろけていくのを感じました。
本書が、暗闇にいる方のはじめの一歩になることを願っています。
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居場所の考察について   会員パスポートNO69

『輝ける闇の光の中で』の第一章に、次のような言葉が出てきます。

居場所とは-若者の経済的なものを保障するのではなく、『生きててよかったんだ』という若者の気持ちを受けとめる場所なのだ。いますぐにでも消えそうなロウソクの火でも絶望して暗闇の中で見たらとても明るく輝いて見えるだろう。

居場所とは

社会の片隅で生存保障のメッセージを発信し、受け取る場所なのだ

またそうでなければいけない

ひきこもりについて話をすると、たまに「ひきこもりには家という居場所があるだろう」という風なことを言われることがあります。ひきこもり先である“物理的な”自室や自宅は衣食住が確保されているし、生きながらえることができる、という意味では確かにそうでしょう。しかし、そうしたひきこもり先が精神的に安定して居られる〈居場所〉であることはとても稀なように思います。どこにも居場所がないけれど、死を選ばない限りはどこかに居続けなければいけない。そういう状況で最後に残った場が自宅や自室であり、そうした場はとても苦痛に満ちたものです。そこから抜け出すために「とりあえず何かしてみる」には、相当な勇気やエネルギーが必要で、しかしそういう勇気やエネルギーは、苦痛に満ちた場に居続けることでどんどん減っていきます。元気な人はそれでも「なにくそ」という気合でそれを跳ね返したりできるのかもしれませんが、そのためには自分という存在を自分自身がかなりの程度認めてあげられている状態でなければ難しいように思います。

「生存保障のメッセージ」というのは、おそらく、その人の存在を保障するということで、それも、何か自身の能力といったものと引き換えにではなく、ただ純粋にその人個人を認めるということではないかと思います。「ひきこもり状態にある」ということだけで社会的に誰からも認められないのではないか、という思いが強いひきこもり当事者にとって、こうした存在の保障はとても貴重です。そうした「存在を保障されている」という実感が、世に言う「勇気」であるとか「生きるエネルギー」の源泉であるように思います。

 

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声なき声を聴く  古田京子

私は公立中学校の教員を約30年したのち、福祉事務所で家庭児童相談員をしておりました。その時に、縁あって、「京都府日常生活自立支援事業」の「おれんじハウス」にスタッフとして誘われ、そこで山田さんに初めてお会いしました。

中学校は学校教育法、家庭相談員は児童福祉法や児童虐待防止法によるもので、対象としているのは18歳までの子どもたちとその保護者です。彼らの抱える困難やその環境などは、常に意識の前面にありました。でも「18歳以上の人」イコール「大人」であり、「大人」について考えることはほとんどありませんでした。「ひきこもり」という言葉は知っていましたが、彼らの抱える苦悩を思い図ることはしていませんでした。

山田さんと出会い、社会の中で孤立感を深めてしまった若者(年齢的にはもう若者といえない人たちも含め)が決して少なくないことを知りました。もがき続け、気力を失い、自分を否定し、また、ご家族も苦悩の中にあることを、肌で感じることができました。

「名前を呼ぶことが大事だよ」といい、居場所に来た若者に新しいニックネームをつけたり、「スキンシップがいいね」と青年をハグしたり、得意の手品で笑顔を引き出したり、マジシャン山田のそばにいると、私自身が知らなかった人たちに出会い、彼らの生きざまからいろいろな学びがありました。近江舞子のキャンプでは、多くの「大人」が集まりました。立場の違う人たちの安心できる集いの場でした。

私は、山田さんと出会えたから、社会の中で置き去りにされている「ひきこもっている人々」のことを知ることができたと思っています。ちゃんと知ることが、同じ社会に生きる仲間として、まず大切なことです。

今回「輝ける闇の光の中で」が発刊されたことで、今まで声にならなかった若者の叫びが伝わり、訪問活動の記録からその場の情景が浮かびます。そのことは、「ひきこもること」をより多くの人が考えていくきっかけとなるように思います。

心を揺さぶられる一冊です。多くの人々が手に取られることを願っています。

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ずっと疑問や違和感がありました。支援者の考察より  竹田 正

山田さんへ 2つ印象に残ったところを書きます。

まず1つ。M君からの手紙です。読んでいる途中、ひきこもり当事者でありながら忘れかけていた当時の自分自身の絶望感が蘇ってきました。とてもリアルにひきこもり当事者の精神的な状況を表していると思いました。彼の言葉にある「どれだけ命を続けているばかりに焦らされ、他人の幸せによって心をズタズタにされなければならないのだろうか」、「どうしょうもない惨めな生き方をした自分自身に復讐してやる」・・・かなり追いつめられた切羽詰まった感じがありありと伝わってきます。きっと見えない敵と終わることのない闘いを続けてるのかなと想像できます。他者との対話がなく孤独の中でモノローグを続けていると、人間はM君のように見えない敵との闘いを強いられるのかもしれません。

そして2つめに印象に残ったのは、支援者についての考察です。文中のP88「支援者は遅かれ早かれ変質するものだと思っている。」「善意の道は地獄に通じる」 P167「抜け殻には生きた生命体は存在しない」「支援者自身のための支援組織」 このような言葉は現在の支援に関わる人や組織を忠実に表しているように感じました。自分も今は元当事者から支援者という肩書で働いていますが、ずっと疑問や違和感があった事を言ってくれてかなりスッキリしました。と同時に、ではどうすればよいのかという、不安感も抱いている次第であります。これは永遠につづくのかもしれません。人の心に関わる事ですから結論はでないでしょう。

 

竹田君はライフアートに在籍して社会へ。結婚、子供一人

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