エスポワールに143名参加したことへの考察。崩壊しているのか若者支援は?

今年の4月30日に京都オレンジ家族の会が40代50代のひきこもりの子を持つ家族を支援する市民の会をつくろうと呼びかけた。京都新聞社が告知記事に掲載されたので、当日は75名近い人が参加された。小さな会議室しか借りてなかったので大きな会議室に変更せざるえないほど、参加人数の多さに主催側の驚きは大変なものであった。定期的に月例を開き、そして8月27日には、しんらん交流館にて「笑いと悲しみとともに生きたい」という表題のもとフェスティバルを開催するまでとなった。朝日新聞や毎日新聞もこの問題を取り上げてくれたおかげで参加したご家族の実総数は143名となったのである。公的な相談機関にいかれていない、つまり「どこに相談したらいいのか?わからなかった」という人も多かった。公的な機関には<引きこもり支援>という看板を掲げているが本質的にはその支援は苦悩し続ける家族にはまったく届いてないのだ。

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あかりをもとめてー寄稿文 「奥山氏との出会いと思い出」

ある日私のもとに「埼玉の奥山です」と一本の電話が入った。2000年6月のことでした。

丁寧な口調で「山田さんがされる京都オレンジの会の石川県での講演会を私たちにゆずってくれないかな」という話でした。私はすぐに「いいですよ」と応諾をした。

講演会の当日が奥山さんと私との最初の出会いでした。

これが今現在のKHJ全国家族会連合会の全国展開となる契機となり、石川県はその第1号となったのです。町田弘樹君(京都オレンジの会のメンバー)の体験発表のあとで、奥山氏が「家族会の必要性」を熱弁されました。私が驚いたことは彼の話の中で、「私は手術したばかりで余命いくばくもない」と訴えていたことです。講演会のあとでわかったことは、彼の歩き方がぎこちないことから彼の左足が骨肉腫に冒され義足をつけていたことでした。左足すべてが義足でした。この日以来奥山氏から頻繁に連絡がありました。実は近畿関西では石川県で家族会ができる3年前には京都、神戸、大阪、高槻、名古屋と各地に親の会が立ち上がっていました。神戸の場合は120名近い会員から毎月会費を集め、会の独力で兵庫区に3階だてのビルを借り入れるまでになったのです。「我が子の問題も大切だけれど、社会的な問題なので高い市民意識を持とう」と私は訴え続けたのです。京都福祉行政のおかげで京都オレンジの会が共同作業所と認定され活動(但し2016年11月以降は活動していません)できるようになったのです。一行政の動きはドミノ式に神戸、高槻、名古屋と広がり各地の親の会活動が共同作業所の認定を受けたのです。親の会に参加した親にとって他の若者が元気になっていく姿が我が子の姿とかさねあわせて希望となったのです。その後近畿関西の親の会も全国家族連合会に参加してほしいと提言を受けた。私は関西各地の親の会の代表・世話人に相談しました。何人かは難色を示しましたが、山田さんの判断に任せるという一任を得ました。関西人特有の東京・関東なにするものぞという気概があったのです。関西人から見て、奥山氏の存在は胡散臭い存在に映ったのでした。小異を捨てることも大切だと感じていました。各地の親の会が立ち上がり、やがて各地の親の会が中心となって共同作業所が運営できればと思い、それがその当時の私の夢でした。こうして2000年末にはいち早く全国組織の体を成したのでした。

ある日私は奥山氏に福岡県で立ち上げようと提案しました。講演会の前日に西日本新聞社などが告知記事を掲載したので、当日の会場の定員は200名のところ300名近く集まり、立ち見もでてごったがえしました。奥山氏の鬼の形相でひきこもりの子どもを抱える家族がいかに困難な状況に置かれているかを訴えたのでした。私はいまでもこの時の事が忘れられません。奥山氏は時代の風雲児となっていったのです。いや言葉を変えれば時代の寵児でした。スッテキをつきながら生身の足と義足を使って壇上にあがるや「私の命はいくばくもなく、皆さんのご苦労と一緒に歩きたい」と訴えたのでした。マスコミや週刊誌も全国家族連合会を盛んに取り上げたのです。

この頃になって、奥山氏との交流も深まり人柄もよく分かるようになりました。人柄は一言でいうと、お茶目なひとでした。そして投宿した宿の部屋のドアの横には茶色いステッキと義足がいつもたてかけてありました。そして羊のような顎ひげもその頃には立派にみえるようになっていました。

彼はひきこもり支援を求めて厚生労働省によく出かける様になりました。しかしひきこもり支援の流れは別な方向へと向かっていました。工藤定次氏と精神科医斎藤環氏との二人が中心になって引きこもり支援の全国的大キャンペーンがはられました。これは家族会というよりは支援者サイドのキャンペーンでした。工藤氏は活動においても実績があり、斎藤氏も「社会的ひきこもり」の本を上梓し気鋭の若手のホープでした。大きな良質な紙でポスターが作られ参加する人の顔写真ものせるという立派なものでした。活動資金の豊冨さがうかがえました。その当時私一人だけだろうか、これはきっと国策にちがいないと感じていました。その後、若者自立塾・若者サポートステーションの設立へと動いたのでした。あれから15年経ちました。厚生労働省もやっと気がついたのではないでしょうか。ひきこもり支援というスキームにはならなかったことを。ひきこもり支援でなくニート支援だといえばそれまでですが、ニートという言葉も死語になりかけています。いやもう死語かもしれません。多くのひきこもり支援者や支援組織が参加しましたが、もう当時の熱気も感じられず、行政特有のどれだけ就労させたかの数字の提出を毎年のように求められているなら、理念を持ってはじめたNPO法人なら確実に病弊しているか変質しているでしょう。<働かせればうまくいく>と工藤氏がいえば説得力がありましたが、しかし、私の経験から考えると5人に1人の割合でないでしょうか?逆に傷つく若者もいることも予想されます。せめて5人に3人ぐらいの割合で若者が元気なる方策をかんがえるべきでした。斎藤氏にとっていえば若者がどのように元気になるかその過程を本当の意味で知らない人だと気付きました。若者の語りたい苦悩だけを聞いて、語りたくない苦悩や思い出したくない記憶がある現場の実相を知らない人だと推測できました。でなければ、<働ければうまくいく>という行政的なスキームにスイッチを入れるという行為に絶対に加担しないはずだからです。深夜に奥山氏からよく電話が入るようになりました。「俺はジャーナリストに後ろから刺された」と苦渋に満ちた連絡が入りました。私にしか話せないと思われるような愚痴をききました。家族会の声がまさに切り捨てられようとしたころです。

ジャーナリズムは社会に問題が発生すれば話題として取り上げるのは当然な行為ですが実はKHJひきこもり家族会は火がつきすぎた感じでした。国策としてすでに別に流れがあるなら燃えすぎた火に水をかけなければならなかったのでしょう。持ち上げて落とすまるでマッチポンプでした。インターネット上に奥山氏への個人攻撃、批判と中傷があふれました。家族会の活動も勢いを失いました。行政関係者が読めばなんと彼が卑劣な人間だと思うでしょう。「刺された」「どうしてそう思うの」「そのジャーナリストしか知らない書きこみがあった」と。信頼し裏切られたかもしれません。最後に「俺の眼の黒い内は会に出入りさせなから」と怒りと憤懣に満ちた声でした。このことの真偽のことは定かではありません。しかし寄稿文を書くにあたって残したい彼の言葉とだと思いました。私はいつも「奥山さんがしてきたことは間違ったことしてないですよ、それどころか、多くの支部の世話人からは感謝の言葉が多いですよ」と言って励ましたものです。ひきこもり問題の解決のモデル作りが始まったばかりの時期でした。これだけはシステムを作り運営してみないとわからないものです。

私はある確信があり、「若者自立塾も若者サポートステーションもひきこもり支援においては必ずいきづまるよ、当事者が望んでいる本質な支援でないから」と奥山氏に言い放ったことがありました。しかし、家族会の会員は奥山氏の行動力に期待していました。期待にこたえるにはまだ遠く道を歩かねばなりませんでした。「山田君、雌伏10年だね」とポツリと言ったのです。

 

そして雌伏10年半ば、彼は斃れたのです。

 

講演会で「皆さんも立派な納税者です。ですから私たちの困難な状況を行政に伝え、しっかりとした支援をもとめましょう」と訴えていました。しかし、それを見届けることもできず、彼は斃れたのです。「余命いくばくない」と言った人生を正に実行して生きたのでした。今回、埼玉県で全国家族会の立ち上げに参加した、奥山雅史氏にとって無二の人、中村進氏が<あかりを求めて>という本が上梓された。この本は奥山氏の活動の記録を克明に書ききった貴重な記録でもありKHJ全国家族連合会の資料となることでしょう。

私は中村氏が書いた<青の洞門>のエピソードが私から見た奥山氏の活動のエネルギーの根源的なものを感じた。10年かけて大きな岩に人が歩ける穴を掘り続けることだったのだ。この本の中で一番心が動きました。私にとってはかけねなく好きな章です。

40代以上のひきこもり問題が深刻化している昨今ですが、私が本当に深刻だと思っているのが23才から32歳ぐらいまでの若者を真に受け止める行政の支援窓口がないことです。今年2017年4月30日京都で 40代50代のひきこもりの子を持つ家族を支援する市民の会を立ち上げた。<市民の会 エスポワール>です。ある人になぜ今こんな会を立ち上げるのかと尋ねられたとき、奥山氏の魂が私の心に「山田君」と呼びかけ突き動かしたのかなと、ふとそう思った。いやそうにちがいない。まだ私の心には生き続けていたのだ。

2017年5月31日  山田孝明

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「あかりを求めて」発刊予定 著者中村進

 

 

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7月9日 神戸講演会

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語りたくない苦悩に, 思いをはせる

初めての対局です。私が黒石。9目を先に置いてはじめた。完敗です。彼がライフアートにきて生活をはじめて13日目でした。わたしの顔をみて、堂々と打ってくれた。人を回避する性格に光が差し込み、まるで氷が気がつかないうちに溶け始めているようだ。碁の終局後、彼がハンドソープのカラの容器を何も言わず差し出した。思わずごめんね。買っておくからねと。15年間社会に出ず言葉を失った彼の人生を考えた。

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4月23日 ひきこもりを考える講演会

輝ける闇の光の中でー講師 山田孝明

姫路市市民会館 第一会議室

pm2時~3時30分

主催 京都ライフアート

講演 姫路市

協賛 はりまいのちの電話 京口カウンセリングセンター

問合せ 075-751ー7276  090-6917-6112(児島)

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こころの扉をあけて

兵庫県の井上さん(女性)からたくさんの詩を送ってもらいました。是非本の形でイシス出版から発行したいと思ってます.

やさしさ

なんで わたしはわたしなんだろう

「わたし」でいなくちゃいけないんだろう

だれかの鼻へ流れる 甘い甘い、金木犀の香りになりたかった

まあるく音響く か弱くさみしい空気でいたかった

生受け止めるあなたのその綺麗な爪 ずっとみつめていたかった

だれかの頬つたう 必然の、あたたかい涙がよかった

名前も場所も知らない遠い遠い外国の海でさえ、「生きろ」とわたしにいっている

 

悲しみよりも脈打つ鼓動を

春よりやさしさを

 

愛なんてわからない 永遠に

わたしの眼は遥か向こう 赤い空を見つめている

やさしさ なんてあるのだろうか

大嫌いなわたしにやさしい日々なんて来るんだろうか

「さようなら」なんて誰だって言いたくない

だから、木々に、優しい植物になりたがったんだ

 

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「小説みたい」と言われて  山田孝明

昨夜、大学教授をされているある女性から電話をもらいました。「山田さんが書かれた本、小説みたいだった」と言われました。なるほど、初めて言われた感想だなと思いました。本当のところ少し嬉しかったです。19歳の時、漠然と将来は詩人か小説家になれたらいいなと思ってました。そして1冊の本を書き上げて、願わくば夭折できたらなとひそかに思ってました。

 

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一緒に乗り込む箱舟ー 竹田 正

「友よともに未来を生きよう」を読んで。

8年前、僕は21歳で京都オレンジの会ライフアートにメンバーとして所属していた。まだ社会に出る前、山田さんから「生存協同組合を作ろうと思う。」という話を初めて聞いた。いろいろ内容については聞かされたが、その時はまだヤング過ぎてさっぱり理解できず、「そんなの作って誰のの役に立つのだろう・・・・そんなことより早く安全な就職先を紹介してほしい!」と内心思ってました。その時は単純に仕事さえうまく続ければすべてのうまくいくと、思い込んでいました。何も知らなかったのです。「就労の先」にある苦悩というものが。

この本に書かれている生存保障のメッセージ「生きていて良いんだよ。今の君のままでいいんだ」このメッセージを若者たちに届ける事は非常に大切だと感じました。メッセージを受け取った若者が、「今の自分のままでいたいけど、苦しい辛い。ありのままでの自分で幸せになるにはどうすれば良いのか」つまり、行き方支援にすごく共感できました。また98ページに「多くの若者たちが巣立っていったが、その中で上手く適応出来た若者たちにはある特徴がありました。彼らは卒業後に数人の仲間同士で近所に住み、時間があればお互いの家を行き来していた」とあり、町田さんはそれを「仲間(生存協同組合)と一緒に乗り込む箱舟」と表現されてました。

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書評へのこころみー藤沢三佳 

『輝ける闇の光の中で』山田孝明著 寄稿文:芹沢俊介

 

本書は、「社会的ひきこもり」論が盛んになる以前、最も早い時期からひきこもる若者に対する支援活動を始めた著者が20年以上にわたる貴重な活動を、若者の手紙や手記も交えて収めて記録したものである。著者は、京都市東山区を拠点として、遠く石垣島をも含む各地に若者の「居場所」や社会参加の場をつくり、訪問活動をおこない、また親の集いを全国に先がけて作り、家族会の発祥の源流となった。その自由自在な活動には吉本隆明氏も魅了されて幾度か講演をおこなった。やがて当時の若者世代は行政支援が及ばない50代になり、「フィフティーの会」もつくられていく。

なぜ長くひきこもる人が著者の訪問には奇跡的に心を開くのか、それはどこまでも当事者の苦しみに寄り添い、そっと手を差しのべる著者の存り方によるもので、若者がそれに感応する様子が、著者、若者、家族の個々の交わりのなかで示されている。この透徹した当事者に寄り添うまなざしは、単に「社会復帰」「就労支援」等の枠に収まらず、後の「生存協同組合」という名称が示すように、生の尊厳を最も大切にし、それ故に人は心を開くのである。社会適応や治療的モデルではなく、「友とともに居るなかでの自己快復モデル」とも言える。「就労支援」へのプレッシャーや挫折によって傷つく若者の存在等、ひきこもり支援の問題点も提示されている。芹沢俊介氏の論考が寄稿され、著者が精神的支柱とする、ひきこもることを否定せず受けとめる「存在論的ひきこもり論」に関する緻密な理論的考察がなされている。

数々の訪問について綴られているが、ある若者は10数年外へ出なかったが、何度か話すうちに、著者のいる「居場所」へ行く勇気が出るが、人が怖いので列車の待合室の2,3人の人影を見て乗れなくなる。そこで著者は運転手に人がいない無人駅を尋ねて、そこからやっと旅立つことができる。本書には、若者との魂の交流、希望の提示という深い実存的な内容が示され、彼らにむけて美しい文学的、詩的表現で語りかけられており、読む人の心を揺さぶる。

(イシス出版 isisshuppan@gmail.com)

 

藤澤三佳(京都造形芸術大学教授)

 

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