8050問題と高齢者虐待

8050問題と高齢者虐待

社会福祉士 本村あけみ

平成18年4月から私は高齢者福祉の分野で仕事をしています。訪問したご家庭でたくさんの高齢者虐待の対応をしてきました。

高齢者虐待で一番多い事例は身体的虐待で,また二番目は経済的虐待または心理的虐待になります。8050問題はわたしにとっては「高齢者虐待」だと考えています。言葉を変えれば50歳を過ぎた子供が高齢化した親を虐待することです。

「ひきこもり」問題に関連した高齢者虐待の事例を紹介させて頂きます。

平成22年の夏,マンションの管理人からの相談でした。夜中に大きな音がする,ドンドンと物を落とすような音がする。母親と長男の世帯で虐待の可能性があるとの通報だった。私が勤務する高齢者支援センターは夜中の対応をしていなかったため,再度,夜中に大きな物音がしたら警察に通報するようにとお願いしました。

通報があったその夜,深夜0時過ぎに警察への通報がありました。

(事前に警察へは通報があればすぐに保護に行くように連絡済み)

被虐待者(虐待をされた人・母親)を警察で一晩保護し,翌朝,高齢者支援センター職員と一緒に警察に被虐待者を迎えに行きました。

このときの被虐待者の年齢は65歳(高齢者虐待の対象者は65歳以上の方。2ヶ月程前に65歳になった方でした)

お会いすると年齢よりも遙かに老けて見受けられました。かなりのおばあさんに見え,歩行もできないくらいに弱っていました。腰椎圧迫骨折をしていたからでした。

顔は殴られたような痣があり紫に腫れあがっており身体的虐待は明らかでした。

母親を保護施設に保護したあと,長男との面会を行いました。そのときの長男からの発言を忘れることはありません。

僕はあんな学校には行きたくなかった」と言ったのでした。

 

この家庭は四人家族でした。父・母・姉・長男(虐待者)。

父は会社員のあとに自営業(不動産業)母は専業主婦,長女・長男の平凡な家庭だったと思われました。しかし,母親は教育熱心だったのだろうか、市郊外の自宅を処分して子どもの有名私立学校入学のためにか市内に転居したのでした。

長女も長男も有名私立中学校・高校を卒業しています。長女は大学に進学したが長男は大学に進学せずに県外で就職していていました。

長男の就職先は出版会社でしたが長続きしませんでした。そして離職後、実家で両親と生活するようになったのです。

虐待が起こしたその年の春に父は他界しました。このころから長男の暴力が始まったようです。

被虐待者が住んでいたマンションから歩いて2~3分の所に整形外科があり、そこへ母は通院していたようでした(このことは後日判明)

圧迫骨折を繰り返し,また,顔にも痣があった時には医者から「虐待」ではないか?と問われ,母は「自分で転倒した」と虐待を否定していました。

私が考えるには自分が育てた大事な子どもに虐待されていることを最後まで否定し続けたのでした。

しかし,命の危険が迫ったとき警察からの「保護します」という呼びかけに「お願いします」と母は応えたでした。

母は「施設に保護していると言わないでください,警察が保護したと伝えてください」と言った。母が決断したときには,もう二度と息子(長男)とは会わないと決心していました。

長男は毎日,夕方から夜中にかけて缶ビール24本(1箱)呑んで、

酔っぱらっては母に暴力を奮っていたのでした。

ピアノを弾いたり,スポーツクラブへ通って水泳をしたり元気だった母が父の死後から急に衰えていく姿が嫌だったと長男は言っていました。

それだけではないだろうと思われました,「あんな学校に行きたくなかった」が本音ではないか感じました。姉と比べられることに対する嫉妬のようなことがあったのではないかと。

子どもの頃の感情を引きずって生きてきて、親子関係の立場が逆になって虐待に至る場面を見たように思いました。親が子供を暴力で支配すれば、当然後年子供から暴力的な支配を受けること必然的かもしれません。親が良かれと思ってしたことや、人生の歯車が狂ったことを修正できずに心の奥深く持ち続けたことで、ふとしたことで「虐待」が始まったのかもしれません。

私自身子育ては難しいと思っています。「ひと」として自立して生きていく力をつける・・とは?

「夢や希望」を持つこと,親が押しつけることなく子ども自身で「夢や希望」を見つけられたら最高に幸せだと思います。子どもの「夢・希望」を応援するのが親と思います。

 

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