自分の脆弱性と向き合えたこと。   トニーが書いた。

自分の脆弱性と向き合えたこと

色んな勘違いやとても個人的な思いがあり、住んでいた実家から遠い京都へやってきた。すがる思いというか、自分を慣れた環境から切り離してシンプルな実感が欲しかった。あまり何も考えずに京都に来た。

今の時期は観光客でいっぱいなのは知っていたけど、それで困るというほどでもなく、全然知らない人たちだから気が楽だ。一番の敵はやはり自分であった。部屋の埃を気にしすぎ、使い慣れていないユニットバスに抵抗があり初日の夜はシャワーも浴びずに寝てしまった。

到着した初日の夜に、山田さんがそのままとあるBarへ連れていってくれた。「アフターダーク」というクラフトビールを注文して飲んだらこれがやたら旨かった。オーナーが「コーヒーのような味わいを楽しめる」という様な説明をしてくれたが、本当だった。コーヒー好きな僕にとってはその「アフターダーク」という黒ビールが、本当にビールなのか疑わしい程にいい意味で裏切られた。

話が最初に戻るが、本当に一つ固い動機はシンプルに実感が欲しかったのだと思う。それは、いまやただ京都という環境に翻弄されている虫けらの様な実感であった。というか、これが本当の僕自身なのだと知ることが出来た。今日、二日目の日中は近場の散策をした。途中まで山田さんが同行してくれて、あとは山田さんが書いてくれた簡単な地図を頼りにそれを大まかな目安として、そしてなるべく自分の行きたい方へ心がけて、それは白川沿いを歩くことになったのだが、表通りとは打って変わり人の行き来もまばらだった。

どこをどのように歩んできたかは記憶に無いが、「知恩院」に行き着く。途中、新入生らしき学生の列を見て、もっと前は新しい社会の節目のこの季節が嫌でたまらなかったことを思い出したが、今の僕はあまりそこに感じ入ることもなく、それよりは今の僕自身が途方に暮れていることを不安の中でほんの少し楽しんでいる様な、どこかそれを誇っている様な気がしていた。主体性の脆弱さを、人としての弱さを全身に感じている「まともな自分」と出会えたことが、それが今の僕の目的だったのかもしれない。いわゆる愉快とか楽しいとかではなく、華やぐ京都の街中で「脆弱さ」がうろついていた様な感じだ。

 

カテゴリー: お知らせ パーマリンク