京都に来て11日間が経った。    トニー(投稿者)

「眠れない」というのは、ただ眠れないというだけ。眠れないから眠れないのであって、理由は勝手に作るのかもしれない。

過去の自分がどうこうと考える時間もなく生活はやることがちゃんと有ってくれる。

京都へ来て3日目か4日目の朝に、抱えていた不安と途方もなさや環境への変化に対応するための緊張で一度ガタっと疲れが出たが、その日の昼前には予定していた哲学の道経由での銀閣寺行きを決行出来た。出来たというより、「やってしまえ」という気概が何故か湧いた。

今日でライフアートを拠点とした京都滞在が11日目を迎えて少しずつ適応に伴い前向きにさせてくれる環境であると感じている。

昨日はライフアートでの家族会に招待され、僕が親御さん達に僕の思いや考えていることを話す機会を山田さんが作ってくれた。同席していた町田弘樹さんの助けもあり、平静を保ち、あまり話が狭くならずに聞いて頂いている方々に分かりやすい言葉や内容でお話が出来たと思っている。最初から最後まで話の着地点を見失わずに話せたのは少し自信になったと共に、この環境が僕を締め付けるような他者性を持たないことも大きく影響しているのだろうと感じた。皆さんが僕の話を聞いてくれて、最後には「少し希望が持てた」というご感想もある親御さんから頂き嬉しかった。それは僕の話を通してご自分のお子さんの気持ちというか、考えている事の手触りを感じてもらった事だと思っている。僕は僕で、あまり独りよがりにならない言葉や内容を選んで発言出来ていたと思う。

家族会で自分が発言した内容に関して重要で印象的だと思ったことは、頭(思考優位)からの動機ではなく、心や体の方へ動機を移していったらどうか、とういう事だった。引きこもっていると、過去や自分へのこだわり、環境や思考パターンの固定や依存で身動きが取れなくなり、それにより「今」への感覚に接続出来なくなる。直観というか、そういうものに。そうするとその時の行動パターンはやはり過去に支配されていることになると思うので、シンプルに観て感じ行動している事への移行がとても重要になってくる。

僕は承認というものに関係ない所にそれは多く属していると感じている。ただ生きるために料理は必要で食べる行為が豊かになるし、掃除や洗濯だって出来るだけ快適に過ごせるように必要だと思う。

そして、京都は歩き観て楽しむにはとても恵まれた環境なので、心と体が元気を取り戻していると感じる。たまに山田さんが飲みに連れて行ってくれるBarの雰囲気やお気に入りの黒ビールを飲むこともそうだ。それは「今を味わう」ということになるだろうけど、「今」をそのまま観たり、それを味わうことが元気になれる第一歩かもしれない。

元気になれるというのは、現実で身体的な主体性を持つことから始まり、承認を他者から自分が求めていない状態から始まるのではないかと思っている。

昨日の午前中には山田さんと2人で大文字山へ登ってきた。その山頂で俯瞰した京都の街は広すぎて、家やその他の大きな建物が所狭しと並んでいて、その中の点の1つに僕が居たという実感も湧かないほどに全てが見渡せた。とても圧倒される光景で、どこか清々しかった。

京都の木造建築を観て圧倒さる事も、鴨川沿いを歩きその河川敷で枝垂桜とその木漏れ日を観て静かに感動するのも承認欲とは無縁で自由だ。

何となく、承認欲って頭(思考優位)が先なのだろうと後で思った。何故こんな簡単なことに気付かなかったのかと思うのだが、その渦中にいてそこで心が嫌な熱さを保っている時には例外なく気付かないものだ。

山田さんのご協力の下、心と体に動機を取り戻せる力が京都にあるのかもしれないし、やはり山田さんの力なのかもしれないし、と思っている。

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