生気が流れ込んできた京都滞在一ヶ月

生気が流れ込んできた京都滞在一ヶ月

京都へ来てもうすぐひと月が経つ。色々な刺激を受け、色々な人たちに出会った。そのどれも咀嚼しきれずにボンヤリしている。今では元気になっているのか疲れてしまったのか判然としない。連日の雨のせいもあるかもしれないが、環境に少しずつ慣れてきて行動頻度が鈍ってきているようにも思う。しかしお酒を飲む機会は増えたし、一人思い悩み頭で考えることは少なくなった。人と会うことが多くなっている。

今思うのは自分が感じていた「自身の活気」というのは、自分の中だけで悩み考えている様な我にとらわれている状態だったのだということだ。それは自動思考だったり防衛反応だったり。昨夜飲んで帰ってきている途中で山田さんが「自分、元気になったな!」と言ってくれた。正直僕はあまりピンと来ていなかったが、どうやらそれは頭で考えていることではなく、外からわかる事なのかもしれない。自分が外に気を向け、それに翻弄され刺激を受けて疲れていても、身体や心が自由になっているのかもしれない。それは自分を頭で制御し、それで自分を囲ってしまう事ではない。今はそう捉えている。

自分に閉じ籠り外からの流れを遮断してしまっているのではなく、外から流れてくるものを素直に受け取り傷つき楽しむことが命の流れなのかもしれない。「自身の活気」や「生気」は外から流れてくるようである。「今」を喪失した承認欲ではなく、「今」の自然な承認欲への接続までを想像した。誰のせいにもしない、一人で苦労することまでの、まだその入り口である。

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