「果ての感覚」に救われた

石垣島滞在10日目
 ただ生きていくだけの自分にはまだなり切れず方向性が不明瞭だが、出来ることを望んでいる。「ただ生きる」というシンプルさは引きこもり状態に依存していた自分にとって、とても不安だし怖い。「生きて、朽ち果てる」ことは出来るのではないかと思っていたが、その間が大きな問題なのだ。
 石垣島に滞在して10日目になった。落としどころがなく咀嚼しきれず腑に落ちないことが多い。とても濃い環境だと思っている。その中で僕は只々漠然とした不安を感じる存在になっている。さざ波の様な不安が絶えない。
今日は「黒島」へ行ってきた。なんとなく僕がイメージしていた南の島の「ゆっくりとした時間感覚」がそこにあった。引きこもっていた時の「時間停滞感覚」の質が、ネガティブからポジティブへと変換されたような時間だった。少し乱暴な表現かもしれないけれど、「ポジティブな時間停滞感覚」があったように思う。現実的に言うと、だだっ広い牧場と空、どこまでも続いているような道、そこにほとんど人が見られなかった。僕ひとりだけがフラフラと自転車を漕いでいた。そんな環境だからか、いまだに自分の存在がぼんやりで停滞している僕自身が、その環境でポジティブ変換されたのかもしれない。停滞していることが許されている様な時間だった。
何も考えずにぼーっとして回り、最後に「伊古桟橋」へ着いた。運よく誰もいなかったのでそのまま300メートル以上もある長い桟橋を歩いた時に「最高だな」と思った。そこには「果て感」があったのかもしれない。だだっ広い海に長く突き出した「果ての感覚」に救われていた。絶えないさざ波の様な不安が少しの間だけ消えていた。
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