さざ波のような不安

石垣島滞在18日目。
何か確かなものがあるということはなく、さざ波の様な不安だけが絶えない。宿で話した外国の人に「石垣島どう?」と聞かれたが、答えが出てこずに在り来たりなことでしか返答を埋められなかった。その人に「それだけ?」と問われたが、本当にそれだけしか出てこないことに少し戸惑った。僕の絶えない不安がさざ波のようだと言うのがいいとは思わなかった。
最初はその不安に振り回され、それに堪えていた。しかし、この不安は身体に馴染んできても捉えどころがなく、なんだか酔っ払っている気もする。多分「今」というものに酔っ払った。「今酔い」と名付ける。
引きこもっている時の環境や、思考というには怪しい妄想で自分を囲い依存・停滞していた時とはまるで違う感覚であり、差し迫る目の前のことや違う場所に繋がることは、「いい子」経歴のある自分には「不安と恐怖」が固く手を繋いでいる事を自覚させてくれた。習ったことを大事にしてしまうのは恐怖の回避と承認を得ることだったから、「自由」というものがとても動きにくく、処理できずに酔っ払うのは当然のように思う。ただその時々に反応していく「行為」の持久力のなさ。
意識下で、僕の恐怖と承認を背骨にした「いい子プログラム」に呼ばれた「べき思考」と、「自由であっていいはずだ」「自分で決めていいのだ」という思考がシーソーゲームして宿主の僕が悪酔いしたのだろう。さざ波の様な不安は、そいつらがシーソーを漕ぎながら錆びついたそれの軋みとともに、何やらザワついていた声だと思う。
「今酔い」でまだ悪酔いしているが、山田さんに付き合ってもらい慣れた酒のように慣れるといいな。
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