生きづらさを手放す
心理カウンセラーの松野と申します。
このページに辿りついてくださり、
本当にありがとうございます。

大人になっても言葉にできない生きづらさ
※人間関係の悩み(職場・恋愛・夫婦・親子問題)
目の前にある現実問題が苦しい時って、
過去の出来事から心の傷を隠して
気づきたくない心の動きがあることを
あなたはご存じでしょうか?
特に幼少期の中で解決していない
未解決の感情が誰にでもあります。
だからこそ・・・
「生きづらさの種」をみつける勇気をもって
心の本音に気づくことが大切です。
言葉にできない生きづらさが
ずっとある時は気軽にLINEをくださいね。
自分の不安や悩みを人に
打ち明けることができない方へ
今の気持ちを文字にして
自分への理解を深めてみませんか?
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生きづらさを手放す
心理カウンセラーの松野が、
専門家ならではの視点で
あなたの生きづらさからの不安や怖れに
寄り添っていきます。
親や大切な人に言えない相談でもお気軽に
メッセージを送ってくださいね。
自分の考えをうまく言葉にできなくても大丈夫。
メッセージカウンセリングなら文章にすることで
自分の不安や悩みが整理されます。
なにより自分の心の奥を文章にすることで、
自分の悩みや考え方を客観的にみながら
整理することにも繋がります。
あなたが書いた内容や僕からの返信は、
いつでも読み返すことができますので、
専門家ならではの視点も取り入れながら
自分への理解や和解が出来たり
新しい気づきを得ることもできますよ。
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返信をいただかないと
僕の管理仮面からメッセージが
送れないからなんです。
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自分で自分を癒せるようになると、
生きづらさは手放していけますからね。
大人になってからの生きづらいとは?
一言でいうと、生きることが苦しくて辛い。
人間関係がしんどい感覚です。

親子関係から植え付けられた価値観

もしも、今。言葉にならない生きづらさを
あなたが感じているのならば・・・
相談できる場所を作っておいてください。
僕は幼少期から父のDVを受けてきて
慢性的なトラウマからアダルトチルドレンになり
長い間、生きづらさに悩み続けてきました。
しかし、両親二人の末期がん介護を通じて
亡くなった母から心の傷を「気づき」に変えれば
生きづらさを手放して幸せになれることを学び、
生きづらさを手放す専門家として、
本を書きながら心理カウンセラーになりました。
現在は5冊目を執筆中です。
誰にも相談できず苦しいなと思う時は
いつでも僕と繋がっていれるように、
ご登録だけされておいてください。
毎日セールスメールが届くこともありません。
どうぞご安心くださいね。
カウンセリングをご希望の場合も
LINEからご依頼くださいね。

「心の分野」の中でも親からの「べき論」を
幼少期からずっと植え付けられたせいで
大人になっても生きづらさを感じる方や、
小さい頃から親や相手の顔色が気になって
自分の本音を抑圧する中で苦しいまま大人になった方。
また親や恋人のDVからトラウマを抱えて
心に深い傷を抱えている方のメンタルケアを
専門としてサポートさせて頂いています。

昭和生まれに多い生きづらさ

生きづらさは30代から50代の方に多く、
職場での人間関係、夫婦のすれ違いから
自分の存在価値を否定しがちになります。
この生きづらさの根本にあるのは幼少期がほとんど。
ずっと偽っていると社会人になっても
承認欲求ばかりが強くなって孤独感や
見捨てられ不安などが起こります。
だからこそ・・・
いつも変わりたいと思っているのに、
変われない焦りやイラ立ち・・・
この自己否定を心の中で繰り返すことが
自己嫌悪を止まらなくさせています。
「今の生きづらさ」の奥にあるのは、
ある日の心の傷が強く影響しているんですよね・・・
そう思いたくない気持ちがあるのは
僕も同じだったのですごく分かるのですが、
ほとんどが子供の頃に受け取りたかった愛着から
生きづらさって起こっているんです。
自分の両親が毒親や毒親じゃなくても
子供の頃の家庭環境や親との関係から
何かしら心の傷が残っていくからです。
つまり、生きづらさの奥底に隠れているのは
アダルトチルドレンの症状かもしれません。

親から条件付きの愛情しかもらえず
小さい頃に傷ついてしまった心が
大人になっても癒せないからこそ、
自分に対する評価が低くなって
人間関係に影響を与えます。
誰でもそうだと思うのですが
対人関係を通じて傷ついてしまうと・・・
過去に対して「もう傷つきたくない」と
心の根元では思ってしまう生き物です。
だからこそ人は心にフタをします。
見ない様にすればするだけ苦しくなるので、
自分の「生きづらさの種」をみつけることが
手放す為には大切なんですね。
昔の僕も悩み続けた一人です。
僕は幼少期の頃から母と共に
父からDVを長く受けてきました。
慢性的なトラウマ(複雑性PTSD)から
アダルトチルドレンだと気づきました。
当時の僕は社会人になっても
過去のせいで自分はこうなったと
ずっと抜け出せずに悩み続けます。
ただ、亡くなった母が教えてくれたんです。
心の傷は「気づき」に変えられると・・・
そこから僕は心理カウンセラーになりました。
過去の傷を自分から癒せる私へ
誰でも心の傷と向き合うことは、
とても勇気がいることです。
なにより自分を許すということが
1番むずかしいかもしれません。
なぜなら、これまで自分を支えてくれた
色んな気持ちが全て無駄だった・・・と
どこかしら思いたくないからです。
だからこそ、僕たちは心に鎧をまとって
自分自身を偽ろうとします。
それが本当の自分であるかのように・・・
あえて過去の記憶に触れようとせず、
気づくことの大切さ避けながら
心の中にフタをしています。
だからこそ、メンタル本に頼りがちですし
無理に自己肯定感を上げようとします。
でも、その選択が職場や家庭での
コミュニケーションの障害となっていくんです。
実践したけどうまくできない自分は、
やっぱりダメな人間なんだなって・・・
そしてまた自己否定を繰り返します。
本当は少し手前にある心の傷を
1歩ずつ受け入れないといけないのですが、
自分の存在価値を認めることができないので、
認められたい・愛されたいという承認を
常に周りから求めていこうとします。
依存心から自己犠牲を繰り返すんです。
心の傷を癒していきませんか?

生きづらさの種をみつけるということは
過去に経験した出来事に触れることです。
そんな中であなたに質問です。

一見、どちらも同じ様に聞こえますよね?
日本語としては「自分を好きになれない」と
表現する方が多いと思います。
僕があなたに伝えたいのはこっちです。
「自分が好きになれない・・・」
自分を好きになれないというのは、
ある一部の所を切り取っていることが多く、
少し自己否定が強くなっている状態。
自分「が」好きになれないは
自分の存在に価値を感じていない。
自分が恨めしくなってしまう状態。
ここには・・・
「自己批判」「自己否定」「自己嫌悪」という
言葉の裏にある心の状態や程度の深さは、
多少の主観性が含まれるので
定義しにくいところがあります。
しかし、下記の順序には一定の意味があるので、
もう少し噛み砕いてお伝えをしますね。
自己批判の段階では、
自分の行動や考えに対して
批判的な見方をしやすいです。
例えば、一度の失敗やミスに対して
「もっとやれるはずだった・・・」などを
よく思ったりするのが特徴。
この時は向上心が強い方に多く、
自分のことが嫌いとかではないです。
もっと自分を高める為には?という
気持ちの方が強い感じです。
ただ、最初の自己受容をせずに
自己批判を続けてしまうと・・・
「私は何をやってもダメだ」というように、
何に対しても自分を低く見る傾向が
どんどん強くなるので、
いつからか自己否定を繰り返すのが
癖になってしまいます。そうなると・・・
自分自身の存在そのものに対して
嫌悪感を持つようになるんです。
自己否定の段階での
「私はダメだ」という感情が
もっと進行していくので、
結果的に「私は存在しない方が良い」と
いつも考えるようになって生きづらさが
すごく強い状態になっていくんです。
周りの目や自分に対する評価が
年齢を重ねる度に厳しくなり、
最終的には自分の存在すらも否定して
自己嫌悪が止まらなくなってしまいます。
「自己嫌悪」が強くなっている時って、
本当に根元の部分に対して、
僕たちの様なカウンセラーと向き合い
生きづらさの種がどこから来ているのかを
根本からみつけないといけません。
その種から「生まれた芽」は社会に出て
良くも悪くも複雑に絡まりながら
花を咲かせてしまっています。
素直に「花が花である」為に咲いているのか?
強制的に水を撒かれて咲かされたのか?
そのまま咲かせておいた状態でいいのか?
花を枯らす選択があってもいいのではないか?
自分の中で整理をしていくことが大切です。
生きづらさは心にフタをして誤魔化すほど
どんどんしんどくなっていきます。
職場やプライベートの中で
言葉にならない生きづらさがあったり、
メンタル本を読んでも改善しない時は、
僕にご相談くださいね。
生きづらさは必ず手放していけます。
ただこれまでの感じ方や捉え方が違う
新しいあなたになる為には、
一時的な解決方法を探すよりも
生きづらさの種をみつけることが先です。
心の本音に寄り添います。
僕は生きづらさに悩むアダルトチルドレンや
トラウマ専門の心理カウンセラーです。
よくあるのがLINEに登録した瞬間に
カウンセリングやZOOM説明会などに
すぐに勧誘する方が多いのですが、
どうぞご安心ください。
LINEに登録してからカウンセリングを
受けませんかというセールスがはじまることは
僕の公式LINEの中ではありません。
なぜ?お友達登録をオススメするのかは、
あなたが生きづらさのの悩みを共有したいのに、
誰にも話せない、相談する人がいないという
不安をやわらげたいからです。
誰かと一緒に生きづらさの根本を探求したいとき、
あなたのそばに僕がいること忘れないでください。
心の傷を癒しながら生きづらさを
自分の力で手放していきたい時は、
お気軽にメッセージを頂ければ幸いです。

「親が喜ぶ瞬間」性的な侵犯、疎かなど、不適切な保育が行われると、脳の成長段階に過度な圧力が加わり、脳の一部が縮小してしまうこともあるんだ。大人へと成長した子供に影響を及ぼすだけでなく、子供自体の身体にも有害な結果が残ることになるんだね。
メールカウンセリングと呼び出すのは、ビデオコミュニケーションツールや音声対話の利用を省き、自分の家でゆっくりとした状態でカウンセリングの形態の一つということです。メールカウンセリングではリアルタイムの対話が伴わないため、速やかな解決を希望する課題を相談する時には不適当です。
精神的な障害は人それぞれに種々のパターンで出現するよ。アダルトチルドレンで見つけられる共通性は自己評価の減退。自己の犠牲により自己評価を引き上げようとする状況も頻繁だ。そのため、過労状態で心と体が消耗して、感じる人がたくさんいるよね。
見た目は普通の家庭と思われるケースでも、重荷となったりする、依存症、子どもへの愛情が条件依存、役割放棄、子どもを讃えない・受け入れないなど、子どもが連日ストレスを抱えつつ過ごさなければならない環境は、すべて機能失調一家と言えます。
親から度々連絡がくる場合、留守電に任せるか無視するかで、何日かに1度、心に余裕があるときに応答するようにしましょう。「メールやメッセージへの反応を遅らせる」「頻度を削減する」など、そのような苦しさを「距離を生む」ということです。
家族との関わりは大事ですが、それがすべてではないのです。家族とのつながりに期待が持てないのであれば、「最良の友」や「相棒」との人間関係に「安らぎ」「安定感」を見つけることは、精神の安寧に大きな影響を与えます。
母親が父親の愚痴を漏らしたり、親が家事を子供に押し付けすぎると、子供の純粋な感情が成長しにくくなるんだ。心理的に未熟な親が「自分が優先だ」といったメッセージを子供に伝えすぎると、親の要望に対応するために、自分の気持ちを表現できなくなるよ。
彼らは親への敬意を大切にし、親に屈辱を感じさせず、問題を引き起こさず、親のサポートを提供しようとする方向性を持っています。これは、親や社会から受けた教養や人生観の影響であり、他人に対する親切心と、自己を犠牲にする尊厳が過度に気力を注ぐことが根拠にあります。
今の困難を緩和するためには、これまで年月をかけて構築してきた生活の方式を改訂する必要がありますが、これは個人では難しい課題。自助団体や心理療法を使い、自尊心を向上しようとするきっちりと対応してくれるその結果、過労で身心が疲弊し、心の負担がいくらか軽くなることでしょう。
頻繁に親から電話がかかってくるなら、持つことは重要な事です。毒親は「そんな相手とは絶縁しなさい」と気力に余裕があるときに伴侶がいると、自己の統制力が弱くなることを認識しているため妨害を強化しますが、その抑圧に負けないことが肝心です。
自分自身への不満と、心の奥に湧く怒りが他人との肯定的な絆を妨害してしまいます。彼らにとって、相互に傷つけ合わない絆という理論が理解できず、自我を防護するためにすべての人間関係を絶つ以外に良い解決策が見つからないと感じることがあります。
過ごしにくさは、親の気分の上下に大いに影響されることが多く、自身の感情や要求に対して感じやすくなり、ときどき、過大に反響することもあるのです。そのため、彼らは親との結びつきにおいて警戒し、自我を犠牲にしてでも親の願いに対して奮闘するのです。
極めて寛容で、極度に無私の精神で行うような成長した子供です。親の役割を果たすかのように生活全般の責任を引き受けたり、兄弟の世話を積極的に行ったりなど、自己の欲望を自身の存在意義を支えてしまうのです。
保護者の飲酒依存症に悩まされました。しかし、幼いころはたっぷりの親の愛情を感じて育ってきました。だから、アダルトチルドレンに当てはまるのか良く把握していないまま歳月を過ごしてきました。そして今、どんな行動をとっても窮屈さや孤独感を感じながら生きていますが、これを親や家庭の状況の責任にしたくないという意志が強いです。
その人が傷を感じているか否かは、その人個々の認識で、もっと受容されても良いはずなのに、“少しぐらい辛抱しろ”や、“強さは必須”といった風向きがまだあると感じます。年齢を重ねてきました。今、何を行っていても窮屈さや孤立を感じて生活していますが、これを親や生活環境の責任にしたくないという左右される要素ではない。